いつかはクラウン・・、だったのですが・・。

いつかはクラウン・・。

古いトヨタのクラウンの話になりますが、このコマーシャルに

「よし、頑張るぞ!」と意気込みで生活をしていたことを思い出します。

 

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https://www.webcartop.jp/2015/03/7419

 

当時は、高校を卒業して、すぐ親父の土建業を手伝うことに

決めていました。

 

親父は、免許取りたての私に「運転をしろ。」と言ったのです。

 

運転させられた車が、二代目クラウンステーションワゴン

でしたが、教習所でもクラウンかセドリックの時代でしたから、

乗れないことはないだろうと運転しました。

 

山形の田舎から出てきたばっかりの者に「さあ運転しろ!」

ですからね、すぐ擦ったり角をぶつけたり、横に乗っている

親父も「あのなあ・・。」と絶句状態でした。

 

大きい事故は起こしませんでしたが、「車は傷だらけの人生」

ということでしたね。

 

そのおかげかはわかりませんが、運転は結構うまくなりました。

とにかく、コロナ1500DX、クラウンワゴン、トラック・・、

その他現場の車をいろいろ乗っていましたから、

まあ自分で言うのも何ですが、上手くはなりますね。

 

TS320234

http://uechi.exblog.jp/5511330/

 

そのうちに、すぐガソリンスタンドのスタッフや整備工場の

スタッフ、板金屋のスタッフと仲間を集めてチームを作り

ラリーとサーキットの参戦をやり始めたのです。

 

筑波のサーキットには、朝2時半頃から出かけて行かない

と間に合わないし、ラリーの練習には夜10時ごろから

出かけて行くという、まあ、親父もあきれて何にも

言わなくなっていましたね。

 

今思えば本当に我儘をやってきたなと反省しています。

これは本当です。後悔はしていないけど反省はしています。

 

今でも車は好きですし、時間があれば高速を飛ばしてみたい

と思いますが、なかなか時間が取れないのです。

 

昔話をするようになったら隠居ですよ、とこれを読んでくれて

いる友人からも言われてはいますが、そうかもなと納得

しながら書いています。

 

私事ですが、22歳の時父が倒れ借金を背負い、父の看病や

交通事故の後遺症といろいろ疲れと共に、今度は自分も

動けなくなってしまったのです。

 

それをきっかけに車遊びを止めて、未知の「治療家」

を目指そうとこの世界に入って今に至っています。

 

その時のクラウンのキャッチコピーが「白いクラウン」という

三代目の車でした。

 

この時のクラウンが今でも好きですね。

身体が思うように動かせなく、毎日が闘いの中でしたから、

気持ちを強く持てないまま、それでも「きっと良くなってやる!」

呪文のように唱えていました。

 

この三代目は、1971年までの4年しか販売されませんでしたが、

その2ドアハードトップは今でも乗ってみたい車です。

 

今日は、なんか昔話を書いてしまいましたが、

皆さんも越えなきゃならない時ってあったと思います。

諦めずに、続けることが一番大切ですね。

 

今、何かわからない症状で悩んでおられたら、

過去に事故や何らかのケガがなかったかを思い出して

みてください。

 

解決する道がきっと見つかりますよ。

 

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