2016年, 11月

「イソ・リヴォルタ・グリフォ」って車は知っていますか・・?

 

「イソ・リヴォルタ・グリフォ」って車の名前には思えないですね。

イタリアの車なんです。

「イソ」という会社の車なんですよ。日本人からすると??という感じですが

やはりイタリアの車です。

 

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http://jp.autoblog.com/2013/03/03/petrolicious-rev…

 

ちょっと見ると、日本のある車に似ていませんか?

そうですね。いすゞ自動車の117クーペにそっくりですね。

1965~1974年まで生産された車で、2シーターのスポーツカーなんです。

 

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 http://grandrosso.blog48.fc2.com/blog-entry-105.ht…

 

イタリアといえば、もうスポーツカーの国と言ってもいいくらいに、多くの

メーカーが競い合って車を作っています。

 

フェラーリ、ランボルギーニ、フィアット、アルファロメオ、マセラティなど、

世界的にも超一流といえるのですが、その中でも異色の存在ともいえる

メーカーで、元フェラーリのエンジニア、ジオット・ビッザリーニがシャシーを

ベルトーネのジウジアーロがデザインを担当したのです。

 

117クーペにそっくりですと言いましたが、それは当然のことで、当時の

117クーペのデザインを担当したのが、ジウジアーロなんです。

 

この車のデザインを担当してから、3年後に117クーペを担当しています

ので、あの117クーペの美しさはこの車が原点だったということなんです。

 

この「イソ・リヴォルタ・グリフォ」は、1963年のトリノ・ショーに初めて発表された

時には、そのデザインの美しさと精緻なシャシーには賞賛の声が多くあった

言われています。

 

この車のエンジンは、初めはシボレーの5400ccで300~350馬力で

最高速度は275kmを達成したのですが、その後7Lのエンジンに変えて

435馬力まで伸ばし、当時の世界最高速度300km/hを達成したのです。

 

そして、1972年には、フォードのエンジンに変えたのですが、255km/h

止まりとなり、1974年に「イソ」自動車会社が倒産となってしまいました。

 

総生産は300台ぐらいとなったようです。

希少価値のある車ですが、中々残ってはいないかなと思います。

1990年代に復活の話もあったようですが、実現はしなかったようですね。

 

最近の話では、世界に34台しかない右ハンドルのこの車が、1700万円

で落札されたという記事がありました。凄いの一言ですね!

 

 

アルファロメオ・4C(Alfa Romeo 4C )の勇姿です!!

イタリアの自動車メーカー、アルファロメオ・4CAlfa Romeo 4C )です。

 

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http://lussocars.com/new_cars/alfa_romeo/alfa_rome…

 

アルファロメオの初のミッドシップスポーツカーです。

2011年に発表されたスポーツカーです。

 

4Cという名の由来は、4気筒(4cylinders)のエンジンのことで

アルファロメオジュリエッタクアドリフォリオヴェルデという車に

搭載されていたエンジンです。(wikiより)

 

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http://123hdwallpapers.com/ja/cars-red-white-alfa-…

 

フルカーボンモノコックを採用し、乾燥重量は895kgという軽さで、

モノコックだけなら65kgしかないという車です。

 

トランスミッションは、フィアットの独自製品

6速デュアルクラッチトランスミッションを採用してる。

 

排気量は、1750ccのエンジンで直噴ターボではありますが

なんと、240psも出すのです。

 

ですから、よく言われるリッター100オーバーは軽々とクリア

しているということで、凄すぎますね。

 

軽い車なのに、240psですから、ぶっ飛びという感じでしょう。

 

この車の日本での発売は、2014年にされています。

ちょっと見てみますと、725万円で売りに出ていますよ!

2015年製で0.5万kmです。いかがですか!

 

 

V12ヴァンキッシュ(V12 Vanquish )

 

今日は、V12ヴァンキッシュV12 Vanquish )という車です。

 

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http://free-images.gatag.net/tag/aston-martin-vanq…

 

V12ヴァンキッシュは、イギリスの自動車メーカーであるアストンマーティン

が製造するクーペで、社の最速高級スポーツカーです。

 

日本での価格は、なんとV12ヴァンキッシュが2260万円、Sがまたまた

なんと、2614万円!!

通常は2シーターで、オプションで2+2にも出来る車なんです。

 

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http://www.espacio-c.com/vcsMember/stockdetail/816…

 

エンジンは、V型12気筒でフォードのデュラテックV6がベースで、

ヨーロッパフォードの本社があるケルンのアストン専用工場で

製造されました。

 

V12ヴァンキッシュが5.9LV12型DOHC460英馬力をだし

Sはさらに520英馬力を出していました。凄いですね。

 

今この車を探してみますと、2004年製1350万円で走行距離1.7万km

修復歴なしという感じの車です。

 

V12ヴァンキッシュは、2000年に発表され、翌年に発売、2007年の

6月まで、7年の歴史だったのです。

 

そして、DBSは後継モデルとして、2012年再び発売となったのです。

 

 

 

 

デロリアン(De Lorean )という名の車は・・?

デロリアンDe Lorean )は、バック・トゥ・ザ・フューチャーという

映画で有名になりましたね。

 

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http://carcast.jp/13820

 

デロリアンDe Lorean )はアメリカ合衆国にかつて存在した

自動車製造会社である。

また同社で唯一製造された自動車『DMC-12』を指す通称と

しても用いられる。

 

DMC-12は、世界的にヒットした

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』に登場する

タイムマシンのベースカーとして広くその存在を知られている。

<wikiより>

 

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http://www.blister.jp/item8197.html

 

1975年に、当時ゼネラルモーターズの副社長だった

ジョン・ザッカー・デロリアンが理想の車を作るためのにつくった会社で

デロリアン・モーター・カンパニーという所で造った車です。

 

イタルデザインの、ジウジアーロがデザインし、ロータス・カーズ

メカニカル設計をしたということです。

 

エンジンはプジョー・ルノー・ボルボが乗用車用に造ったもので、

V型6気筒2849ccで、ポルシェと同じRR駆動方式の車

なんですが、このエンジンは最初8気筒だったので、2気筒分を

切り取ったという面白いものだったのです。

 

なぜかというと、当時はオイルショックで、経済的ということが

世界的になっていたからです。

 

ターボチャージャー搭載、ガルウイングドアという当時の

スペシャルカーということで、価格はというと凄いですよ。

 

今の価格で、1600万円です。

ただ、大量のキャンセルなどで経営不振に陥り大変なときに

会社の内情もあって倒産ということになったのです。

 

最終的には、1982年までに8583台が生産されました。

その後も、このDMC-12という車を造ろうといろいろな案が

出ていて、まだまだ奥深いファンがいるようですよ。

 

ちなみに、今もデロリアン・モーター・カンパニーという所で、

部品取り扱いや、現行部品での新車を造っているそうですよ。

 

 

 

BMW・M1という怪物マシーン・・?

今日は、BMWの最高峰に君臨した、BMW・M1というくるまです。

この車には、当初V型12気筒4.5Lのエンジンが計画されていました。

 

bmw-m1

http://carcast.jp/7572

 

この当時は、オイルショックの嵐ですから、こんな馬鹿でかいエンジンを載せて

走るということは、世間が許さないという感じの時代だったのです。

 

bmw-mi-b

https://wall.alphacoders.com/by_sub_category.php?i…

 

そのエコロジーの中で、4.5Lのエンジンを載せることなど到底許される

ことではないと、ヨーロッパツーリングカーレース用の3453ccの

直列6気筒DOHCというエンジンに変更し、圧縮比が9.0で277馬力、

11.5で470馬力、3153ccのエンジンにKKKターボを装着したものは

何と、850馬力もたたき出したのです。

 

車のデザインは、ジョルジェット・ジウジアーロが担当したもので、

エンジンを下げ、重心を低くするということに成功したのです。

 

BMWとしては、ミッドシップエンジンの車は未経験なので。

ランボルギーニに開発とシャシー関連の製造を委託した

ということです。

 

やはり、得手不得手があって、さすがのBMWでも出来ない

ものは、やはり外注なんだなと思いました。

 

この車は、レーシングカーの様なシャシーから始まり、

FRPをふんだんに使い軽量化を図り、1977年に試作車が

始めて走ったのです。

 

ただ、その後の進行状況も遅く、ランボルギーニへの委託も

変更せざるをえなくなってしまったのです。

 

結局は、シュトゥットガルトのバウアに委託先を変更して1978年に

パリサロンで発表となったのです。

 

ただ、この大変な生産行程が遅れに遅れて、週2台の初期目標が

月3台ぐらいのペースに落ち込んでしまったため、グループ4の

参戦条項には当てはまらずに、このままレースに出ずに終わるか

に思えた時、フォーミュラ1の前座で「プロカーレース」を企画

ある程度の成功は収めたということでした。

 

時代の流れは、思うような形にならず、M1のカーレース活動は

短命に終わったのです。

総生産台数は、477台ということでした。

 

このオイルショックの荒波は、当時のランボルギーニだけでななく

自動車業界全体の大きな問題となっていったのです。

 

 

BMW・2000C/2000CSってBMWらしい車です。

今日は、BMWの2000c/2000csを書いてみます。

この車は、もう50年も前の車なんですが、何となくかっこいいなと

眺めてしまいます。

 

bmw-2000-cs

http://www.bmwcase.com/tag/bmw-2000-cs/

 

この車の特徴は、その顔ですね。

デザインは、かの有名なベルトーネのチーフデザイナーの、

マルチェロ・ガンディーニが担当したということで、1965年の

フランクフルトモーターショーに出品された時は、あまりにも

前衛過ぎるという評価で、賛否両論の車だったのです。

 

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http://www.johnywheels.com/bmw-2000-cs-pictures/bm…

 

でも私は好きですね。

真ん中のMのマークの大きさが、何とも誇らしげで他の車とは一線をおくような

感じの顔でした。

 

また、この車には、手荷物を入れる助手席の前のダッシュボードには、

ウッドパネルが使われていて、高級感が出ていました。

 

パワーウインドウは、この当時ですから、オプション設定だったのです。

 

私の年代では、パワステの車は本当に一部でしたから、逆にノーマルな

普通のハンドリングを楽しんでいましたね。

 

太いタイヤをはくと、生ハンでタイヤを動かすとなるとこれは相当の腕力か、

車を動かしながらのハンドル操作でした。

 

でもこの頃の車は、本当にそれぞれの個性があって、パッと見ただけでも

あれはどこの車で何々だな、という感じでしたね。

 

今の車も、それぞれの個性があっていいのですが、やはり昔のように

遠くから見ただけで解るという感じではないですね。

 

ということは、スピードを追求していくとそういう感じの車になっている

のかも知れませんね。

 

もう一度、あの時代に戻りたいなんていうセリフがあったような・・・。

 

BMW3.0CSって知っていますか?

 

BMW3.0CSという車ですが、今見ても好きですね。

 

bmw3_0cs

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:BMW3.0CS.j…

 

この車は、1971年に2800CSでビックシックス・エンジンで作り上げたGTの

車を、さらに200ccボアアップした車に仕上げたのが3.0CSなのです。

 

出力は、180hp/6000rpm、26.0kg-m/3700rpmを発生させて、213km/h

まで出せるということでした。

 

 

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http://bringatrailer.com/2014/10/09/manual-swap-ca…

 

車両重量は、1.42tもあるので、ちょっと重たいかなという感じがしますね。

シャシー関係では、リア・ブレーキがディスク・ブレーキとなって制動能力が

上がったということでした。

 

またそのエンジンに、燃料噴射装置を組み入れた車、BMW2002tiiを

発表している。

 

また、左右のドアをアルミ製に、リアウインドウをアクリル製に、さらに

パワーウインドウモーターを外した軽量化の車、2002CSLを発表して

ホモロゲーションを取得している。

 

さらにボアアップした車を作り。外装には大型のフロントスポイラーや

リアスポイラーを装着させこの車をベースにしたレースカーで、

1972年、スパ・フランコルシャン24時間耐久レースで優勝している。

 

さすがBMWというところですか、乗ってみたいですね。

 

とにかくドイツ車のバランスの良さは、国産の車では味わえない

ほどの完成度ですね。

 

高速道路を乗っていても、ちょっとしたカーブは、道路に

張り付くように走るのですよ、信じられますか?

 

さすがアウトバーンの国です。羨ましいですね。

 

 

ランチア ストラトスって・・車?

 

ヴィンチェンツォ・ランチアという人が創業者ということですが、

この「ランチア」もイタリアのメーカーなんですよ。

 

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http://kamemori.tumblr.com/post/37402465858/%E3%83…

 

この車は全くの、ラリーカーであって一般乗用車的な感じはない

車です。って言うと言い過ぎかな・・。

 

ランチアといえば、ストラトスの前にフルヴィアという車もあった

のですが、この車に乗った(友人の車ですが・・。)ことがあります。

 

すごく癖のある車で、じゃじゃ馬を超えて暴れ馬のようなというか、

友人も故障が多かった車だと言っていましたね。

でもクーペでしたから、嫌いなスタイルではなかったですね。

 

そのランチアが、レースのために作り上げたのが、

「ストラトス」という車です。

 

ホモロゲーションマシンといって、レースには、排気量や

エンジンの種類(自然吸気・ターボ)、そして市販車で

あれば生産台数等の規定があって、それをクリアするために

車を作る目的もあるのです。

 

ですから、乗り心地とか走りやすさとかインテリアに気を配る

という、それさえもないという状態の車さえあるのです。

狙いは、国際レース(WRC)での優勝です。

 

そのような状況での車ですから、普通の乗用車を考えては

乗れません。

 

フルヴィアは、1・3Lクラスのエンジンですが、

101馬力もあるエンジンですから、圧縮比も高くしてあった

と思います。

 

通常の乗り方で乗っていると、エンジンの回転がおかしく

なってきます。

 

ですから、余り低回転での走行は出来ません。

空吹かしも必要な乗り方をしていくテクニックも必要です。

さて「ストラトス」ですが、まずその特徴です。

 

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http://current-life.com/column/lancia-stratos-hf/

 

狭い、低い、運転技法が難しいということで、

普通の方は乗りたいとは思わなかったでしょうね。

まあ、私の勝手な想像ですが・・。

 

もう車の開発目的というか、狙いは完全にラリーでの勝利しかない

ですから、逆に希少性やマニアックな車として人気はありました。

 

まず、形は未来の車ですね。1970年ですからね。

 

日本の車では全くの箱型の車時代ですから、

こんな車が街を走ったら、「UFOか、何があったんだ!」

状態だったと思います。

 

デザインはあのベルトーネです。

 

ランチアは、「ストラトス」の時には、

既にフィアットの傘下に入っていたのです。

 

フィアットとしては、目立つ車でぶっちぎりと言う宣伝効果も

あってか、半端じゃない位の力の入れようだったのです。

 

エンジンは、フェラーリ・ディノ246GTに使われたもの

と同じと言うことで、イタリアの車メーカーがそれぞれの技術力

を活かした業務提供をしていたのですね。

 

とにかく、未来志向の目立つ車で、

「ラリーといえばストラトス!」の一時代を築いたのです。

 

AMC・グレムリンとペーサーは、醜い車ベスト6位・・・?

 

グレムリンは、AMC(アメリカン・モーターズ社)の車で、

1970~1978年にかけて販売された車です。

 

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http://reforma.blog135.fc2.com/blog-entry-281.html

 

1960年代のアメリカンというと、

マッスルカーとかポニーカーとか若者が乗るような車を

そんな呼び方で呼んでいました。

 

代表車種としては、フォードのムスタングがありますが、

の他にはダッジチャレンジャー、シボレーカマロという車

が受けていた時代です。

 

石油も公害もそれほど問題になっていない時代ですから、

排気量は4000~6000ccという日本でいえば化け物

という感じのエンジンですね。

 

グレムリンとペーサーという車は、

AMC(アメリカン・モーターズ社)という自動車会社

の車で、1970年代の変わった、余りデザイン的にも

どうかな?という感じだったのです。(車には失礼ですね。)

 

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https://sumally.com/search?target=item&q=AMC

 

当然、排ガス規制に突入した時期なので、車もエンジンも

だんだん小さくなっていったのですが、何とその斬新な

スタイルが受け始めて、1974年には17万台も売れた

のです。

 

1978年まで(残念ながら、この年にルノーに身売りとなった。)

67万台も売れたのです。

 

初期のベーシックモデルは、1875ドル(今の80万円ぐらい)

という設定もよかったのかなと言うことですが、

それにしても醜い車のベストテンに入るという

(大きなお世話のように思えますが・・。)

まあ誰が決めたのかは探らないようにしましょう。

 

何といってもそのデザインですが、気持ちいいぐらいに

スパッと切り落としたような感じで、まあ、私もン~と

ちょっと考え込んでしまいますが、でもよく見ると

それほどでもないですよね。

 

何かこう味があるというか、古いロードスターのお尻の

ような感じもしないではないですね。

 

名誉のために言っておきたいのですが、レースでは頑張った

のですよ。

 

台数が売れていたこともあって、値段的にも改造には

もってこいの条件があっていたという訳です。

ちょっとしたレースに出るには、新車価格+その3倍の金額

がチューニングに掛かります。

 

つまり、100万円の車だと合計400万円になるということです。

(私がやっていた40年前の時代ですが・・。)

 

そして、AMCの最後?の掛けとして、革新的なペーサー

企画し販売したのです。

 

テーマは、10年先の車ということですが、前後は短く横には

広くドアは左右非対称で、まあ、未来カー?だったということ

ですね。

 

ところが、この車も又大人気となって売れたのです。

AMC自体も経営が危うい時期だったので、喜んだのですが、

アメリカ特有のアフターフォローや品質の悪さもあって

人気が落ちると平行して身売りとなっていったのです。

 

一部では「このペーサーこそ1970年代のアメリカ車だ。」

(ウィキ参照)という声もあるということです。

ファッション性があって、女性向きかなと思いますが・・。

いつかはクラウン・・、だったのですが・・。

いつかはクラウン・・。

古いトヨタのクラウンの話になりますが、このコマーシャルに

「よし、頑張るぞ!」と意気込みで生活をしていたことを思い出します。

 

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https://www.webcartop.jp/2015/03/7419

 

当時は、高校を卒業して、すぐ親父の土建業を手伝うことに

決めていました。

 

親父は、免許取りたての私に「運転をしろ。」と言ったのです。

 

運転させられた車が、二代目クラウンステーションワゴン

でしたが、教習所でもクラウンかセドリックの時代でしたから、

乗れないことはないだろうと運転しました。

 

山形の田舎から出てきたばっかりの者に「さあ運転しろ!」

ですからね、すぐ擦ったり角をぶつけたり、横に乗っている

親父も「あのなあ・・。」と絶句状態でした。

 

大きい事故は起こしませんでしたが、「車は傷だらけの人生」

ということでしたね。

 

そのおかげかはわかりませんが、運転は結構うまくなりました。

とにかく、コロナ1500DX、クラウンワゴン、トラック・・、

その他現場の車をいろいろ乗っていましたから、

まあ自分で言うのも何ですが、上手くはなりますね。

 

TS320234

http://uechi.exblog.jp/5511330/

 

そのうちに、すぐガソリンスタンドのスタッフや整備工場の

スタッフ、板金屋のスタッフと仲間を集めてチームを作り

ラリーとサーキットの参戦をやり始めたのです。

 

筑波のサーキットには、朝2時半頃から出かけて行かない

と間に合わないし、ラリーの練習には夜10時ごろから

出かけて行くという、まあ、親父もあきれて何にも

言わなくなっていましたね。

 

今思えば本当に我儘をやってきたなと反省しています。

これは本当です。後悔はしていないけど反省はしています。

 

今でも車は好きですし、時間があれば高速を飛ばしてみたい

と思いますが、なかなか時間が取れないのです。

 

昔話をするようになったら隠居ですよ、とこれを読んでくれて

いる友人からも言われてはいますが、そうかもなと納得

しながら書いています。

 

私事ですが、22歳の時父が倒れ借金を背負い、父の看病や

交通事故の後遺症といろいろ疲れと共に、今度は自分も

動けなくなってしまったのです。

 

それをきっかけに車遊びを止めて、未知の「治療家」

を目指そうとこの世界に入って今に至っています。

 

その時のクラウンのキャッチコピーが「白いクラウン」という

三代目の車でした。

 

この時のクラウンが今でも好きですね。

身体が思うように動かせなく、毎日が闘いの中でしたから、

気持ちを強く持てないまま、それでも「きっと良くなってやる!」

呪文のように唱えていました。

 

この三代目は、1971年までの4年しか販売されませんでしたが、

その2ドアハードトップは今でも乗ってみたい車です。

 

今日は、なんか昔話を書いてしまいましたが、

皆さんも越えなきゃならない時ってあったと思います。

諦めずに、続けることが一番大切ですね。

 

今、何かわからない症状で悩んでおられたら、

過去に事故や何らかのケガがなかったかを思い出して

みてください。

 

解決する道がきっと見つかりますよ。

 

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