2016年, 8月

マツダのAZ-1というスーパーカー・・!

マツダの軽に、スーパーカーがありました。

ということはご存じかと思いますが、ここまでやるかという車でしたね。

本当に、レーシングカーでした。

 

AZ-1

http://carcast.jp/5166

※みよ!この勇姿!!

 

そして、スポーツカーの特徴としての、リアミッドシップエンジン
(前後の車軸の間にエンジンがあるものを、ミッドシップエンジンという。)
の車で、しかもターボ付きで後ろのトランクにエンジンを入れた車です。

 

ポルシェやフェラーリ、ランボルギーニという超一流の車は
すべてと言っていいほど、リアミッドシップエンジンですから、
そのミニチュア版ということになります。

 

どんな感じで走るかというと、
F1フォーミュラーカーのミニサイズのカートに乗っているような気分ですね。

 

ただ、風を切ってという感じはいいのですが、
椅子の低さとガルウィングドアという軽では唯一のドアの形状もあって、
さらにサイドシルが高いため、ミニスカートの女性は座りにくい。

 

それにちょっと狭いので、身体が大きい人が座るのはちょっと厳しいのです。

 

それでも、FJ(フォーミュラ ジュニア)のような乗り心地ですから、
文句を言うこともないでしょう。

 

そのAZ-1ですが、スズキ自動車にもOEMで発売されて「キャラ」

という車でした。

 

AZ-1の当時の値段は150万円ということで、
この造りでの値段としては、本当に安いと思いますね。

 

AZ-1  2
http://usedcarnews.jp/archives/9723

※まさに、スーパーカーなり~!!

 

外装をFRPにしたり軽量化を図り、車重量720kgまで

落としたのです。

 

車体は、スケルトンモノコックという特殊なフレームで、
外装がない場合でも走れるという車だったのです。

 

外観だけでなく、エンジンもスズキの3気筒DOHCの
F6Aターボエンジンウをミッドシップに搭載し、
ステアリングも機敏な(ロックトゥロックが22回転)ものだったことで、
「究極のハンドリングマシーン」と言われていたということです。

 

ところが、ミッドシップのバランスがあまり良くなかったせいか、
スピンや横転が多くあったということです。
ジムカーナでは、ホンダシティの独壇場に立ち向かった数少ない車でした。

 

ただ、横転などが多く、火災事故などでの救助も難しく、
それらの理由から、誓約書も書かされたとの話もあります。

 

この車も折からの不況も重なって、

4392台の生産で消えていったのです。

今でも中古車市場では高値を維持している車の一つですね。

愛のスカイライン~ケンとメリーのスカイライン~♪

「いつだって~、どこにだって~、果てしない空を風はうたってゆくさ~♪」

今でも口ずさめますね。

生ギターのイントロで、「ズンズンジャィン~♪」。

良かったですね。

 

ケンメリ
※愛のスカイライン♪・・。かっこいいですね!!

 

もう自分が主役の映像が流れているようで、
思わずニャッとしてしまいますが、
愛のスカイラインがハコスカといわれた3代目で、
ケンメリが4代目のスカイラインなのです。

 

愛シリーズが2代続いたと言うことなのですね。

 

ハコスカは以前書いてみましたが、
今回は皆さんの大好きなケンメリのスカイライン
書いてみたいと思います。

 

富士精密工業から出発したスカイラインですが、
「山並みと青空を区切る稜線」という意味だそうです。

 

その名付けの親である桜井眞一郎氏が思いついた場所といって、
群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に生産50周年を記念して、
プレートが設置されたということです。

 

その富士精密工業がプリンス自動車工業に変わり、
さらに日産自動車に吸収合併されたという歴史の長い車です。

 

その中でも一番売れた車が、ケンメリの愛のスカイラインです。

 

GTR
※何ともいえませんネ~・・。最高です!!

 

やはり、桜井眞一郎氏が設計統括をしていて、
サーフィンラインの特徴がデザインに残されました。

 

この車から「警らパトカー」として導入されることになったのです。

 

「警らパトカー」は、専用の規格があり、
エンジンは6気筒、室内はいつでも拭けるように
ビニール製ということだそうです。

 

このケンメリは、「ケンとメリーのスカイライン」という広告から始まって、
先代のハコスカの愛称「愛のスカイライン」も継承されました。

 

若い男女のカップルが日本を旅するというCMは、
ハコスカの豪快な戦士というイメージから、
ソフトな感じに生まれ変わって、人気が凄かったですね。

 

そのケンメリから、わずか197台しか生産されなかった車、
そしてたった4ヶ月の販売という車が幻の車「ケンメリGTR」なのです。

 

この車ぐらいイメージ的に大成功した車はないと思いますね。

 

BUZZというフォークグループが唄った
CMソング「ケンとメリー~愛と風のように~」は、
オリコンランキング19位まで支持され、
テレビやラジオから流れるメロディーを聞いては
「いつかは乗ってみたいなー・・。」と、みんな思ったことでしょう。

 

そのCMの「木」は、「ケンとメリーの木」と名付けられ
観光名所にまでなったのです。

 

その場所は、北海道上川郡の丘にある木です。

 

1972年に発表され、197台で終わった幻の車、

「ケンメリGTR」。

 

排ガス規制は、それまでの多くの個性ある車を、
引退に導くことになったのですね。

 

ちょうど私の20歳過ぎの頃が、
最高の車が見られた時期かと思われます。

 

本当に今思っても懐かしく思います。

 

ただ、今残念なのは、一度だけでもその勇姿をサーキット。

見せて欲しかったですね。 

トレノ、レビンはお忘れですか・・・?

忘れてはいませんが、順番で書いていますので・・、
という言い訳ですが、1972年に発売された車です。

 

カローラがレビンで、スプリンターがトレノということですが、

シャシーからエンジンまでほとんどが同じ車なんですね。

 

レビン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E…

※レビン、いいですね!ぶっ飛びマシンでした。

 

じゃじゃ馬っていう感じの車で、友人が乗っていて、

もう少しで暴走族っていうくらいの走りをしていましたが、

まあすごい車でした。

 

オーバーフェンダーが付いている姿は、やはり走り屋のイメージ

がすごく、そのエンジンは、2T-Gという1600ccの排気量で、

2バルブではあったのですが、DOHCで吹け上がりもよく、走って

いても855kgの軽い車体ですから、早かったですよ。

 

カローラでは、「SL」「SR」とかがありましたが、 エンジンを

強力な2T-Gに変えて、 新たにレビンという愛称にしたのです。

 

オーバーフェンダーも通常はFRPという軽いものなんですが、

なんと金属のものまであったというのですから驚きましたね。

 

今もそうですが、レギュラーガソリンとハイオクガソリンがあって

そのパワーも5~10psぐらいは違っていました。

 

ハイオクならハイオク専用車であって、レギュラーガソリンは

入れられないということでした。

その前には、有鉛のみで、その有毒性から無鉛ガソリンにするということを、

世界に先駆けて1986年法律を決めて、日本とアメリカが法律化を決ました。

1973年頃から無鉛にという動きはあったのですが、すぐに無鉛化は出来ない

ため、有鉛・無鉛のガソリンがあって、無鉛レギュラーガソリン仕様なのに、

有鉛を入れて走ったりして遊んでいましたね。馬鹿でしたねホント・・。

 

皆さんは、鉛を入れる意味は解りますか?

 

車の出力を上げるために、空気の圧縮比を上げる必要があったのです。

通常は8.9ぐらいですが、スポーツタイプは10.5とか

ガソリンのオクタン価を上げないと、圧力が上がるために自然発火

してしまうのです。

 

トレノ

http://hillclimb.blog38.fc2.com/blog-entry-164.htm…

※トレノ、じゃじゃ馬でした。かっこいいですね・・。

 

それをノッキングと言いますが、ハイオクにするというのは、

ノッキングを起こさないように、燃えにくくする対策に鉛

(アルキル鉛)を添加していたわけです。

 

ところが、1970年5月、東京都新宿区の牛込柳町交差点の周辺

の住民から健康異常が見つかり、鉛中毒ということが判明して、

それから無鉛化対策となって行ったのです。

 

現在のオクタン価は、レギュラーが89・0以上ハイオクが

96.0以上となっているようですが、それではみなさん質問です。

レースガス(レース用ガソリン)のオクタン価は、 どれくらい

あると思いますか?

 

まあ、企業秘密もあって難しいのですが、110~120ぐらい

あるということです。

 

筑波サーキットであったのですが、事故でレースガスが燃えると

どんな炎になるでしょうか?

 

そうです!正解です!見えません!炎が見えないし煙も出ません。

 

ですから、出来るだけ大げさなジェスチャーで周りに教えて

あげるのです。

 

あれ、また話が逸れました。レビン・トレノ思い出してくださいね。 

スバルっていえばレガシィって言い過ぎですか・・・。

レガシーと書いてあることがありますが、
名誉のために正式名称は「レガシィ」ということです。

 

レガシィはご存知の通り、アルシオーネSVXが生産終了となってからは、
まさにスバルの看板娘?ではないですね、
看板野郎ということかもしれませんね

 

レガシィ

http://minkara.carview.co.jp/userid/292362/car/177…

※レガシィ、初代の直線美です。

 

スバルは、富士重工業というのメーカーで、
元々は、かの有名な軍需産業の中島飛行機がそのルーツなのです。

 

え、軍需産業の飛行機メーカーが車を造ったってほんと!」
というわざとらしい言葉を並べてみましたが凄いことなんです。

 

飛行機メーカーが車を造るなんてありえないよ
って感じですが、本当なんですね。

 

ただ、それが民間企業としての生き残りでは
大変な苦労もあったんですね。

 

当然、会社がうまくいかなければ倒産するということです。

 

ですからスバルの車産業では、初めは身売りのうわさが出るほどの

大変さでしたが、それを払拭したのがレガシィなんです。

 

初代のレガシィは、1989年に発売になった、BC・BF・BJ型

のモデルで、スバル1000依頼のジリ貧から光が当たるヒット作品

となったのです。

 

そのエンジンは、「RS」グレードに載った「EJ20」ターボは、
何と220PSの今までのワゴンクラスにはない最強の車だったのです。

 

やはりリッター100超えですね。

 

さらに、テストドライバーのチーフは、車両研究実験部の辰巳英治が

担当し、テストコースだけでなく、世界のあらゆるところを走り

つくして造ったいわゆる、辰巳氏の単独意見の車だったというのです。

 

凄いというか、会社の存続さえも危ぶまれていたというのに

よく役員の方が承諾したと思いますね。

 

そのレガシィは、デビュー前の走行で、アメリカ・アリゾナ州

フェニックスで行われた10万km耐久走行で、

平均速度223.345kmを達成し国際記録を作ったのです。

 

さらにバブル景気もあって、「ハイパワー4WDツーリングワゴン
という独自のカテゴリーを創造したのです。

 

初代のレガシィは、スバルという新しいブランドを向上させるためにも、

世界の車メーカーに必死の戦いを挑み、ついに世界ラリー選手権(WRC)

の1993年、初優勝を成し遂げたのです。

 

レガシィ3代目

http://b-cles.jp/car/purchase_used/legacy_wgn_3rd….

※3代目です。いい車でした。

 

実は、3代目のレガシィには、私も乗っていました。

3代目に載せられた「EJ20R」型のエンジンは、GT-Bという車で、

世界で始めて2000ccで280PSの高馬力を達成したのです。

これはレース車ではなく、一般販売の車なんですよ。

 

え、どんだけ!!という感じですね。

 

本当に凄いということがぴったりの車でした。

 

恥ずかしいのですが、その車で、外環を走りオーバーヒートさせ

エンジンを壊してしまいました。

 

大泉ジャンクションで、一般道に出ようとしてブレーキングしていたら、

エンジンがいきなり停止。

 

一巻の終わりという事態で、その後はジャスのレッカーで引いてもらう

という情けないものでした。

 

皆さん、車は優しく扱いましょう!・・・でした。

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