2016年, 8月

光岡・ゼロワン・・。国産スポーツカーです・・!!

光岡・ゼロワン・・。国産スポーツカーです・・!!

光岡自動車という日本の10番目の自動車メーカーです。

 

ゼロワン
http://www.at-info.jp/car_search_list/?COUNTRY_ID=…

 

名前は、ご存知でしたか?富山県富山市にある純然たる日本の

自動車メーカーです。

 

昨日書きました、イギリスのモーガンやケーターハムのように

小さい会社ですが、それでも667人(ウィキ参照)の従業員が

働いている会社です。

 

モーガンやケーターハムは100~150人ですから、それと

比べると大きい会社ですね。

 

創業者は、光岡進氏で富山日産から富山日野に移り、日野がトヨタ

と業務提携してからは、商業者販売となり、自分の意志を貫くために

退社して、原付バイクのエンジンを使用してゼロハンカ―を製作した

のです。

 

当時はまだその規制がなく、原付免許や冶自動二輪の免許で乗れる車

という触れ込みで話題性もあったのですが、車社会になるに従い、

安全性が問われるとともに、1985年の道路交通法によって車の免許

でしか乗れなくなってしまったのです。その最後に作ったのが、

BUBU505-Cという車です。50ccの車ですよ!!!

 

 

BUBU505-C http://blogs.yahoo.co.jp/oyaji_sp/11376068.html

 

その後は、工場を閉鎖し在庫の車をすべて専門学校へ寄付をした

ということです。

 

それでも車を造る夢は、ますます強くなって、「ラ・セード」

「ビュート」を造り、ついに「ニア・セブン」という

ロータス・スーパーセブンのレプリカを発表したのです。

 

ニアセブン

http://car-moby.jp/53094

 

この申請によって、光岡自動車は、国内10番目の自動車メーカー

ということになったのです。

 

一時は、そういう小さな車を造っているメーカーもいくつかあり、

話題とはなっていたのですが、カーブでの横転事故や横風に

対する安定性の問題があって、実際に広まって行くには

難しかったようです。

 

私の知り合いも、小さい車を買って新聞配達等に使って

いましたが、3回ぐらい転倒するような事故を起こして

からは乗るのを控えたようでした。

 

さて、このゼロワンですが、ベースになったのは、

ユーノス・ロードスターですが、その車の姿は、まるで

ロータス・スーパー7という感じであり、誰しもがアッ

という衝撃を受けたと思われます。

 

1940年代の車そのままのような車ですから、ちょっと

乗ってみたいとは思っても、中々度胸が必要ですね。

 

皆さんは乗れますか?

 

昨日も越谷の街を車で帰る時、「DOHC4バルブ」の

エンジン音が近くで聞こえるので、辺りを見渡したら、

黄色い車のフェラーリ458の新車「ゴーンゴーン」

とほえるような音を聞かせながら、交差点で右折をしよう

としていました。

 

この年(64歳です。)でも、ワクワクしてくるのですから、

男ってどういう生き物なんですかね・・。

 

女性の皆さんからしたら、

「ん~、いくつになっても子供なんだね~・・。」という

評価でしょうか。

 

でも機会あれば、このゼロワン乗ってみたいですね。

中古車市場では、12~3台出ているようですが、値段は新車

と同じぐらいにプレミアムがついているようですね。

 

モーガン・・?今はあるのかな・・?

モーガン・・?

イギリスの古い自動車メーカーです。今はあるのかな・・?

 

モーガン
http://nostalgiccar.blog.so-net.ne.jp/2010-11-14

 

モーガン、大丈夫あります。

イギリスの自動車メーカーで、今でも健在ということです。

 

しかも、他からの資金を入れないで、ファミリー企業として

やっているということは、これは自動車業界でもすごいことです。

 

1908年が創業ですから、100年が経ったわけですね。

ちょっと車を見ると、昔のオープンカーという感じで、

ロータス7や、スーパー7(ケーターハム)も同じような車を

造っていましたが、実は今でもスーパー7を手造りで造って

いるのです。

 

モーガンb
http://minkara.carview.co.jp/userid/481754/car/471…

 

さてモーガンですが、全従業員150人ぐらいの会社です。

 

ケーターハムも100人の社員で手造りの車を造っている本格的な

自動車会社なんです。

 

この歴史あるデザインに固執し、この車の歴史そのものが、

自動車の歴史のように思われるほどです。以前は越谷周辺でも、

乗っている人を見かけたことがありますが、今はほとんど

見かけることはなくなりました。

 

この3社は、すべてが英国の会社で、やはり手造りという

本物志向を貫き通していることは感動にも値しますね。

 

特にモーガンは、歴史としても古く、それに資本移動もなく

今に至っているということの大変さは、その時その時の経済

の浮き沈みを受け入れながら、今日まで自分たちの力だけで

生き延びて来たということなんです。

 

本当にすごいなあと思います。

創始者の、ヘンリー・フレデリック・スタンリー・モーガンは、

牧師の子として育ったのですが、18歳で鉄道会社に設計技師

として勤務します。

 

24歳の時自分でガレージを建てて、10馬力の15人乗りの

バスを造って売りだしたのです。

 

それが評判がよく、その後のモーガンの基盤となったのです。

モーガンの車は、そのままのデザインをそのまま提供する

というもので、時代の流れを追う一般的な商法ではなく、

基本的なデザインをそのまま生産し続けているのです。

 

当時は、今ではありえない木製のフレームを使っており、

手作業でのレザーシート作りという風に、内装からすべてが

ハンドメイドという車だったのです。

 

今でこそ、木製は内装に絞られていますが、本当にそういう車が

あったのですね。

 

現在は、世界で50のディーラーを通じて販売されているという

ことです。

 

注文時には、手付金として1000ポンドの支払いを受けてから

製造に入るということで、納車まで何と1年半から2年ぐらい

かかるということです。

 

現在、日本での輸入は、モーガンオート・イワセという会社

だそうです。

 

皆さんいかがですか?

 

俳優の、北大路欣也さんが所有しているとか(ウィキ参照)

載っていましたが、本人主演のドラマにも出演していたとか、

車が好きな方はお分かりだと思いますが、そうなんですよね、

見せてあげたいのですよ、「みんな見て~!」状態ですね。

 

女性の方は引いてしまうかもですが・・。

スープラというスポーツカーですが・・・?

スープラというスポーツカーですが、かっこいいですね!

トヨタスープラはご存知ですね。

 

1978年に初めてセリカXX(ダブルエックス)という名で
販売されました。

 

北米仕様では、成人映画の度合いを示す記号なので「スープラ

として販売していたのです。

 

スープラ
http://b-cles.jp/car/meisha/toyota_supra_1st.html

 

三代目からは、スタイルもスポーツカー的なものに変化し、
サーキットが似合う、カッコいいという車になったのです。

 

1986年から1993年までに販売されましたが、

「トヨタ3000GT」というキャッチコピーで売られていました。

 

エンジンも2.0Lから3.0Lまであり、最高馬力は、

国内制限ぎりぎりの280psという性能を誇っていました。

 

その中でも、2.5Lツインターボの1JZ-GTEは、リッター

100ps越えの280psという、国内でも見られないくらい

のリッターあたりのパワーウェイトレシオを誇っていたのです。

 

レースでは、グループAに参戦したのですが、スカイラインGTR

の前ではなすすべもなく1990年には撤退せざるを得なかったのです。

 

四代目となるスープラは、レースを目標に置いた車になって、

その中でも上級車は、シーケンシャル方式のツインターボで、

やはり国内限度の280psという馬力を出していたのです。

 

そして、マニュアルで6速という日本初の 変速機を備えて

いたのです。

 

タイヤも、17インチにインチアップされた物を履いて

いました。さらに、このA80型のRZ-Sには、

前輪225、後輪245という、前後異なったタイヤ

ついていたのです。

 

スープラ4http://blogs.yahoo.co.jp/mijoushort/45639831.html

 

この四代目は、打倒フォード・シエラ、スカイラインGTR、

ホンダNSXを旗印に、いろんなレースに闘いを挑みました。

 

三代目の車体の重さとエンジンのバランスは、その努力は実る

ことなく、超えることの出来ない壁となって撤退してしまうの

ですが、その悔しさという形で、四代目の挑戦は各レース場の花

というくらいに活躍をしていくのです。

 

ただ、また公道を走り、シグナルレーシングをする若者も

多くなって、今でもこの車のファンは多く、年代の割には

中古車市場でもプレミアム的な存在が見られます。

 

「スープラ」という名前の由来は、ラテン語で「至上かつ最高」

とか「上へ」、「超えて」という意味(ウィキ参照)だそうです。

 

今見てもカッコいい車です。

でも、残念ながら、乗ったことがないのです。さみしいですが・・。 

47万円?そんな車アルト・・?

すみません。うけもしない話で・・。さて、47万円

定価ですよ。これは本当の話で、1979年に発売された

「スズキアルト」という車です。

 

アルト
https://gazoo.com/car/history/Pages/car_history_07…

 

今年でアルトは、37年の歴史になるんですね。

 

2014年末で483万台という大ヒットというか、

スズキイコール「アルト」といっても過言ではないでしょう。

 

そのアルトの車に、何とリッター100psの車が誕生したのです。

1987年のことですが、いわゆる「アルトワークス」ですね。

 

FFと4WDとの2種の駆動方式だったのですが、この「ワークス」

(当時は、単にこう呼んでいた)は、ダイハツミラの対抗馬として

開発されたのです。

この時に、軽自動車の馬力の出力制限が設けられてしまったのです。

 

その後、足回りのバランスやエンジンとの絡みを改善をして

1992年ラリーでは、打倒ダイハツミラX4Rという旗印の

下で、「ワークスR」を発売しました。

 

アルトワークスRhttp://response.jp/assistance/usedcar/detail/CU401…

 

そして、全日本ラリー選手権に参加。

その翌年から2年連続で、全日本ラリー選手権Aクラスと

全日本ダートトライアル選手権A1クラスで優勝しているのです。

 

どんな車だったのかということですが、もう丸っきりの

レース仕様という感じで、軽量化をするために、エアコン、

パワーウインドウはなし、そして後部の椅子は、アルトバン

用の軽い椅子に変更。

 

もう完全なといってもいい程、レース指向の車だったのです。

それにしても、姉たちもアルトを乗っていたので、47万円

の車を体験はしています。

 

それにしても当時でさえ、軽自動車の通常価格は 60万以上

だったのですから、とんでもない車が販売されたということに

なったのです。

 

まあ、今回の燃費問題では、やはり信用的には悪い印象

ではあったと思います。

 

それでも、普通車を販売して来たメーカーの場合と61年

もの間、軽自動車を販売し続けて来たのです。

 

累計の燃料消費量・排ガスの排出量を考えたら、環境にも

配慮された経営方針の会社という実績は理解されますね。

 

アルトの483万台は、普通車と軽自動車では排気量が全然

違うわけですからね。まあ、私個人の偏見ではありますが・・。

 

2000年には、国土交通省の「優ー低排出ガス車」認定を

軽自動車で初めて取得しているのです。

 

ただこの年に、「ワークス」は廃止されました。

 

「ワークスR」という車も、一時代の車社会における

軽自動車の存在感を印象づけた車でした。

 

2000年には、インドでの生産販売という海外展開を

開始して、日本車の優秀さを世界に記したともいえます。

 

今、若い世代の方が車離れをしているという話を耳に

しますが、ちょっとさみしい感じがしますね・・。

初代のソアラは日本だけだった・・?

初代のソアラという名の高級車は日本だけだった・・?

トヨタの2000GTにつながる高級スポーツカーを目指した

「ソアラ」という車はご存知ですね。

 

ソアラ
http://ameblo.jp/k-staff5555/entry-10313255884.htm…

 

多分、皆さんはご存知だと思います。

なぜそんなに自信ありげに言うかと不思議に思われるかもし

れませんが、初代目から二代目に入った1986年からバブル

景気に突入していくのです。

 

世の中は、お金が回りすぎて大変な時代だったのです。

 

一年の昇給が2万円近くも上がったり、知り合いの不動産屋の

話では、どんな土地でも見つかりさえすれば、午前中に買い

付けて、午後に売りに出すとすぐ買い手がついて、それだけで

数千万の利益が出るんだといって笑っていましたが、

信じられないと思いますね。

 

005.jpg

http://getnews.jp/archives/358888

 

とにかく、金庫からお金があふれ出して大変だよと自慢げに

話をしていました。

 

車はベンツで、毎日高級クラブ通いで散財してもなんでも

ないし、帰りは当然タクシーで都内から他県まで平気で

乗っていましたね。

 

当然それも毎日ですから・・。

そしてチップつきで万札をばら撒くように払うのですよ。

信じられますか?

 

auto-xGO1Cq.jpg

http://www.life-advisor.biz/index.php?FrontPage%2F…

 

その不動産屋さんは、バブル崩壊の1991年冬に倒産

しましたが・・。

 

インフレという名の、乱痴気騒動はまるで滝のような勢いで

沈み込んで消えてしまったのです。

 

残ったのは、その化け物に振り回された残骸が、心まで廃墟

のようになってしまい、本当に「泡」ということでした。

 

そのバブル真っ盛りの時に売りに出されたのですから、

売りに売れて1986~1991年の5年間で、何と

30万台も売れたのです。

 

ソアラb

http://matome.naver.jp/odai/2141224828198345201/21…

 

その大人気の車と、当時の暴走族(それ以前はカミナリ族・・?)

が合体してしまったので、一時は社会問題にまでなってしまい

ました。

 

せっかくの象徴的高級車が、若い兄ちゃん連中に改造され、
街中をピロプロピロプロ・・と鳴らしながら走られた時は、
本当に「なんでそうなるの!=古いです・・。」という

感じでしたね。

 

「世界に一つ、日本にソアラ。」この二代目の時の

キャッチコピーです。

 

それだけ力を入れていたということですね。

 

このソアラのカラー「白」は、
当時日本で初めての「スーパーホワイト」という、白以上に

白い車という感じで、とにかく綺麗な白い車だったと

記憶しています。

 

ただ、これだけの高級車ともなると、いろんな装備をして

豪華さを出していますから、1500kgを超える車重量

があったのです。

 

走っても少しいじらないと大丈夫かなって、感じはして

いました。

 

そこに暴走族の愛用車ということですから、世の中は

読めないですね~。

 

サスペンションもダブルウイッシュボーンという
2000GT以来のものを採用していますし、
やはりいろいろお金はかかっています。

 

私はこの二代目が大好きでしたが、値段的に買えません

でした。バブルは、私にだけ挨拶なしの寂しい出来事

でした。皆さんはどうでしたか・・?

プレリュード(前奏曲)・・音楽?

プレリュード(前奏曲)・・音楽?なんて受けませんね・・。

音楽の名前が付いた車というと、ホンダですね。

 

プレリュード

https://sites.google.com/site/littlewheel2008/Home…

 

バラード、コンチェルト、この名前もホンダの車です。

 

ウィキを見てみると、「プレリュード」という名前は、
トヨタが商標登録していたのをホンダが譲り受けた
ということなんですね。

 

この「プレリュード」は、五代目まで生産されていたのですが、
1978~2001年まで23年間の歴史を閉じたのです。

 

私が好きだった(すみません、独断と偏見ですが・・。)のは、
三代目の車です。

 

初代もコンパクトな車で、欧州系向けの車だったという面もあり、
80%が海外というホンダの凄さですね。

 

創始者の本田宗一郎氏は、
二輪では世界のホンダというくらい名が売れていましたから、
当然のように海外での評判も上々だったのです。

 

なんと、販売台数が、31.3万台(約4年間で・・。)という実績です。

 

2台目となると今度は、国内でも人気の車でしたが、
デザインも当時としては斬新で、特に女性に人気があったのです。

 

そして、ちょっと意味がよく分からないのですが、
運転席側で助手席の椅子をリクライニングすることが出来るように
運転席側にも操作ノブが付いていたという事で、まあ何でしょうね・・?

 

ホンダもここまで気を遣ってくれていたということですね。
まあ、本題に入りまして・・。さて三代目の登場です。

 

プレリュードb
http://minkara.carview.co.jp/userid/1085558/car/89…

 

この車は、1987年から1991年まで4年間生産されました。

 

二代目を継承するデザインでしたが、
ボンネットの高さをフェラーリに匹敵する高さだという
ふれ込みをしていましたね。

 

また、スバルのアルシオーネの顔と似たような女性受けする車で、
エンジンもDOHCの16バルブで160psまで引き上げています。

 

アルシオーネと比べると馬力はそこそこの感じですが、
車自体の重さが300kg弱軽くなっていますから、
当然として走りは違ってきます。

 

ただ、ホンダの弱点というとエンジンにしても壊れやすい
ということはよく言われていましたね。

 

結構ホンダ車を乗っている人は、そんな話をしていましたから、
そうかなとも思いましたが、多分ホンダ車全般に言えることですが、
乗っていて面白い車なんですよね。

 

特に、エンジンのフケ上がりの良さは一度味わうと、
気持ちが良いくらいの感じて、特にCVCC以前の車は
「乗る人を選ぶ!!」とまでは言い過ぎかもしれませんが、
確かに回し過ぎるかもしれないですね。

 

そのことを思うと、「壊れ易い」のではなくて、 「壊し易い?」

という事なんだと自分なりに納得しました。

 

国産車全般に言えたことなんですが、
やはり足回りの弱さというかバランスのセッティングは、
やはりもう少しお金をかけて造って欲しいな
とよく思っていました。

 

特にドイツ車との差はちょっと埋められるかな
(すみません。独断と凄い偏見です・・。)という感じでしたね。

 

CMには、ジャンギャバンとアランドロンの
「地下室のメロディー」が流れて、女性の皆さんは胸きゅんかなと・・。

アルシオーネって車はどこのメーカー・・?

アルシオーネって車はどこのメーカーかご存知ですか・・?

「4WDアバンギャルド」、この車のキャッチコピーだそうですが、

あまり記憶にはないですね。

 

アルシオーネ
http://hj-tsubo.seesaa.net/article/235419217.html

 

日本より先にアメリカでの販売が優先された車で、スバル(富士重工業

が造った車です。

 

1985年~1991年ですから、排ガス規制やオイルショックなども

落ち着いた頃という感じだったので、アメリカ進出という勝負に出た

のだろうと思われます。

 

スバル自身も初めてのリトラクタブルヘッドライトを採用した唯一の車

なんです。(現在まで、その後は出ていない。)

 

FF(フロントエンジンフロントドライブ)の車ですが、4WDの車も

あり低価格で乗れるスペシャルティカーという触れ込みだったのです。

 

ですから初めの頃は、的確なコマーシャルが効果を沿うし、人気も

あったのですが、1985年のプラザ合意からの円高によって、

低価格から高級車への転換を図ることになったのです。

 

そのことは、販売戦略の変更を強いられることでもあり、アメリカや

日本での販売を増やすことは難しい状況に追い込まれていったのです。

 

アルシオーネb

http://subaru-philosophy.jp/post/32447427256/%E3%8…

 

この「アルシオーネ」自体は、デザインにしても装備にしても評価は

悪いものではなかったのですが、飛び抜けたエンジンの性能が

良いわけでもなく、車体も1300kgという重さもあり、走りでの

面白さもあまり光ったものではなかったということです。

 

やはり車作りを考えるなら、何か飛び抜けるパワーや走りが重要で、

ファミリーカーとして販売戦略を立てるなら、ホンダシビックの

ように、燃費が良くて人もゆったり乗れて安いという方向戦略か

それとも高級車で値段は高いが、乗ったら安全性やゆったり感、

それにハイパワーで1300kgでも 楽々引っ張っていけるという

触れ込みであればいけるかなと思いますね。

 

車高も1335mmということで、デザインの割には高く設定されて

おりボンネット位置の低さだけは、ホンダのプレリュードと似たような

デザインになってかっこはいいと思うのですが・・。

 

やはり車造りも時代の流れというのがあって、なかなか難しいもの

なんですね。それでも、燃費に対してのアピールにもなったと思う

のですが、空気抵抗値の凄さです。

 

「エアクラフトテクノロジーの血統」というぐらいの自信があった

と思うのですが、日本車で初めてCD(空気抵抗係数)値の0.30

の 壁を越えて、0.29を達成させたのです。

 

これには「さすが飛行機メーカー!!」という印象を与えてくれました。

 

もう少し、時代の波に乗っていたらという残念な感じもしますが、

各自動車メーカーのカタログに空気抵抗値が載るようになった

きっかけは、この「アルシオーネ」の功績とも言えるでしょう。

 

スバルでは、初めてレガシーを乗ったのですが、280psの

パワーでワゴン車という発想も素晴らしいですね。

 

走りもよく、高速で150~160kmぐらいで

(捕まらないように・・。)走っていても安定していて、

すごく楽しい車でしたね・・。 

ホンダ1200RSはミニクーパー・・?

ホンダ1200RSはミニクーパー・・?という感じでした。

この車は、ホンダシビックの1車種ですが、あまりご存知

ないかもしれませんね。

 

 

1200RShttp://www.mbok.jp/item/item_470495946.html

 

やはり、排気ガス規制前の頃に発売された車ですが、ホンダとしても

N360に次ぐ世界戦略車として世に出したのです。

 

当時は、徐々には排ガスの規制に入る頃だったので、どんな車であれ

スポーツ車には、当時の運輸省としても目を光らせていたわけです。

 

高性能車を、発売するということは、その最前線の睨みをクリア

しなければならないような事態になっていたのです。

 

ですから、この1200RSは、その睨みを感じながら販売

されたような車なのです。

 

1200ccで76馬力ということですが、車両重量が600

~650kgという軽さですから、この車のハンドリングや

走りの機敏さという点では、他では味わえない程

面白かったですね。

 

1200RSbhttp://minkara.carview.co.jp/userid/1495033/blog/3…

 

私も一年ぐらい乗っていましたから、そのドライビングは正に

ジムカーナのような走りをさせてくれる車でしたね。

オレンジ色が基本のモデルカラーでしたので、ほとんどオレンジ

が多かったです。(私の車もアレンジで・・。)

 

木製のハンドルバケット系の薄めのシートに座ると、ちょっと

したレースにでも出て走るような感覚で楽しかったですね。

 

N360の大ヒットから訴訟問題、さらにホンダ1300の不振と

四輪の販売展開に大きく後退せざるを得ないような事態を、

このシビックが巻き返してくれたのです。

 

そして、第一次オイルショックやマスキー法などの排ガス規制でも、

CVCCというエンジンで乗り切り、20世紀優秀技術車として、

米国自動車技術者協会から表彰を受けたのです。

 

1972年から1979年までの7年間は、自動車業界の氷河期

のような時期ともいえる状況だったのに、ホンダの信念が

大ヒットに結びつけたのかなと思えるほど売れたのです。

 

RSのスタイルは、ちょうどイギリスのミニクーパーという

雰囲気でした。

 

二代目から、七代目までの38年間、世界で売れた車としては、

他に例がないほどの長い歴史を刻んだ車でした。

 

今では大きくなって、2.0Lほどのエンジンになっていますが、

2018年から再度シビック北米仕様の車の生産を開始する

ということを正式に発表されているようです。

 

1200RSの乗る技術も、少し腕が必要ですが、エンジンの

吹け上がりも素晴らしいし、街中でも高速道路でも他の車に

引けを取るようなことはなかったですね。

 

こんな小さな車で、室内も狭くなく大人が4人乗っても、

それほど負担がかかるということはなったように覚えています。

 

この頃は、楽しい車がいっぱいでしたね・・。

ベレットGTはモータースポーツ界の王者だった・・?

ベレットGTはモータースポーツ界の王者だった・・?
   
いすゞ自動車」のベレットGTは、「ベレG」の愛称でも

親しまれた車で、スカイラインが出てくるまではサーキットを、

我が物顔で走っていたといっても良いぐらいの車だったのです。

 

ベレットGT
http://carcast.jp/5159

 

市販車としては、日本初のディスクブレーキを採用した車で、

更に四輪独立懸架による路面追従性の良さと鋭いハンドリングとを

兼ね備えていたこともあり、当時では断トツの性能を誇って

いたのです。

 

その性能から、アルファロメオの異名を取っていたという。

 

そして、1969年には、鈴鹿12時間耐久レースで優勝を飾り、

その車をベースにしたベレットGTR

(正式には、ベレットGTtypeR)が発売されたのです。

 

その車のボンネットは、反射を防ぐために黒く塗られた
(よくラリーではやっていました。)ものを標準装備されて

いたのです。そのエンジンは、GTの1.6L、OHVの

ツインキャブではなく、117クーペ用のDOHCの換装されて、
970kgの軽い車体を190km/hまで引っ張ることが
出来たのです。

 

スカイラインGTも同時期に発表されたのですが、

サーキットでは「ベレG」の方が先に活躍していたのです。

 

GTbベレット

http://firstpodium.ocnk.net/product/7341

 

車のデザインも、サルーン型として出発しているので、
2ドアクーペになっても、スポーツカーという感じではなく、
丸みを帯びたどっちかというとボテッとした(すみません・・。)
感じの車でした。

 

でもレースでの力強さと、じゃじゃ馬的なハンドリングには

人気もありましたが、やはり運転技術のない方には難しい車

でもあったようです。

 

よく横転事故もあったように思い出されます。

 

ただ、「ベレG」の評判もここまでで、周りの開発力の差が

出てしまい、れに排ガス規制の加わって1973年に9年の

歴史をとじることになったのです。

 

とにかく、スカイラインの出現までは、「ベレG」の活躍で

サーキットのファンも目に焼き付けられたことと思います。

 

「ベレG」は、日本で初めて「グランツーリスモ」という

 つまり「GT」という名称をつけた車なのです。

 

私は、筑波サーキットの方でレースを楽しんでいたのですが、

今は車の好きな若者が少なくなってきています。

 

ましてエンジンも改造することとか、昔のような「車をいじる」

ということはなくて、サービスマンに任せてしまっていますね。

 

まあ、タイヤとかの部品の交換ぐらいで、ちょっと寂しいかな

と思います。当然、当時もエンジン等の改造や、ボデーの改造

も厳しいことは言われていました。

 

ただ、ボンネットの中まで見て注意をする警察って、

そんなにはいませんでしたから、懲りない面々として色々

楽しんでいた時代です。

 

吉祥寺駅の近くの交番は、チト「あぶないデカ」という

ことで有名でしたが・・。

 

みなさん、楽しいカーライフを過ごしましょう!

三菱自動車のGTOです・・。

いつも、ブログをお読み頂いてありがとうございます。

今日は、いろいろな話題があった三菱自動車の懐かしい車

を見てみましょう。

それは、GTOという車です。

 

GTO
http://www.carsensor.net/contents/editor/category_…

 

やはり古き良き時代の1970年頃の車で、
トヨタのセリカ・リフトバックと同じスタイルで、
当時のムスタング・マッハワンのマッスルパワー車
に似た形の車でした。

 

マッハ1
http://www.j-sd.net/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3…

 

車の発売時期は、GTOの方が3年早いのでムスタングが好きな方は、
やはりGTOに目が行っていたと思います。

1970年10月に発売されたのですが、12月には当然のごとく

DOHC(4G32型)のエンジンを載せたMRという車が

発売されました。

 

MRは、Mitsubisi Racingを意味しており、今後の三菱自動車

の最上級スポーツ車に受け継がれることとなったのです。

 

コルトギャランの基本的な設計を流用し、スタイリッシュの

ハードトップクーペに仕上がったのです。

 

スタイルは「ダイナウェッジライン」と呼ばれ、さらにテールも

ダックテールという、米国のマッスルカ―車を彷彿させ様な車でした。

 

MRの車には、1.6Lながら、最高速度200kmの車となって、
三菱自動車の看板モデルとなったのです。

当時の値段は、MIが78.6万円、M2が84.3万円、

そしてMRが112.5万円でした。

 

セリカのリフトバック1600GTが96万円ですから、

価格も安くはなかったのですね。

 

3年後には、2000ccで、125psのGSRが発売されたのが

最後に、排ガス規制で消えていくことになるのです。

 

このGSRには、オーバーフェンダーがついてかっこ良かったですよ。

みんないつかは乗ってみたいと思うような車でした。

 

その弟分として、FTOという車があります。1400ccと

1600ccのエンジンを載せて、MRのようなDOHCは載せる

ことはなかったのです。

 

最上級車はGSRで、やはりオーバーフェンダーを装着していたが、

1974年には、オーバーフェンダーは外されたものとなり、

1975年でその名前も消えることとなったのです。

 

でも、19年の時間を経て、後に再登場しています。三菱自動車

と言えば、ラリーですね。

 

ランサーやパジェロでの優勝等、同社は、モータースポーツ分野でも

サファリラリーやパリ・ダカールラリーではなくてはならないほどの

メーカーとなっているのです。

 

そのことからも、今回のは本当に残念としか言いようがありません。

信用を作るには、大変な努力を重ねてやっとの思いで名が通る

ようになるわけです。

その信用を破壊するようなことは、とても考えられないことですが、・・・。

 

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