カテゴリー‘スーパーカー’

ケーニッグゼグ・CC8Sってどこの車・・?

 

「ケーニッグゼグ・CC8S」って知っていましたか?

私は、全く知りませんでした。が、ちょっとネットを開いてみたら凄いのが

あるんですね。

 

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http://www.bornrich.com/koenigsegg-cc8s.html

 

どこの車かお解りですか?

何と何と、スウェーデンの車なんですよ。

ケーニッグゼグ・・?というメーカーなんです。・・失礼いたしました。

 

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http://autowpaper.com/koenigsegg-cc8s-price-2.html

 

どうですか?そのままレーシングという感じですね!!

 

今、ブログを書いてても、ワクワクして子供の感覚で書いている状態です。

でも、この写真見ても何にも思わない方はいないでしょう!

 

凄い車ですよね。

1997年にプロトタイプを公開して、2000年にパリサロンで発表された

のですが、シャーシはカーボン製でボディもカーボン製ということで、

軽量化といっても、1175kgの重量となっていたのです。

 

でもそのパワーは何と、655ps/76.5kgという化けものみたいな車で、

そんなエンジンはどこのものと思われるかも知れませんが、フォード製

なんです。

 

そして、4.7LのV8エンジンで、全高がなんと1070mmしかないのです。

最高スピードはどれくらいまで出せたのかと気になりますよね。

 

390km/hという数字ですが、いかがですか?

 

2002年から2003年にかけて生産されたのが、たった8台のみという事で

今はその車が存在するのかは・・?

サーキットで見たいですよね、無理かな・・です。

 

 

 

グンペルト・アポロって宇宙船・・?

 

違います!グンペルト・アポロ は、車の名前です!

 

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http://racingcar.ready.jp/?p=147

 

ドイツの車で、ローラント・グンベルトというエンジニアが作った

グンベルト・シュポルトヴァーゲンという自動車メーカーで作られた

スーパーカーです。

 

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http://www.virtualcarshop.jp/stockdetail/544-1_259…

 

やはり、宇宙船を意識して作られたということで、2006年に

発売されています。

 

グンベルトは、アウディのエンジニアだったので、アウディ製の

エンジンを採用、4163ccV8ツインターボで、650PS

のもパワーを上げて、最高速度360kmにも達したということです。

 

1~100km/hまでの時間は何と3秒です。3秒ですよ!!

ボディデザインは当然ながら、レーシングカーそのもので、

そのままレース場へという感じですね。

 

ドアは、デロリアンのようにガルウィングドアになってはいますが、

リアビューカメラやエアコン・トランクルームといった普通の

ドライブにも気を配った車です。

 

この車は、ドイツの北西部のあるニュルブルグある2つのサーキット

のうち、北コースという20.832kmの所で、世界最速を記録したのです

 

その記録は、2009年に達成しました。

その後は、2013年にポリシェ918に破られてしまいましたが、その記録は

今でも輝いて残されています。

 

偶然にも、破られた年にこのグンベルト・シュボルトヴァーゲンは経営破綻

となり、その後は香港の企業が出資をして新たな企業として頑張っているようです。

 

2016年の今年、新たな「アポロ・オートモービル」としてアポロ・アローという

車が発表されています。ワクワクです!

 

 

 

 

 

 

 

 

BMW・M1という怪物マシーン・・?

今日は、BMWの最高峰に君臨した、BMW・M1というくるまです。

この車には、当初V型12気筒4.5Lのエンジンが計画されていました。

 

bmw-m1

http://carcast.jp/7572

 

この当時は、オイルショックの嵐ですから、こんな馬鹿でかいエンジンを載せて

走るということは、世間が許さないという感じの時代だったのです。

 

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https://wall.alphacoders.com/by_sub_category.php?i…

 

そのエコロジーの中で、4.5Lのエンジンを載せることなど到底許される

ことではないと、ヨーロッパツーリングカーレース用の3453ccの

直列6気筒DOHCというエンジンに変更し、圧縮比が9.0で277馬力、

11.5で470馬力、3153ccのエンジンにKKKターボを装着したものは

何と、850馬力もたたき出したのです。

 

車のデザインは、ジョルジェット・ジウジアーロが担当したもので、

エンジンを下げ、重心を低くするということに成功したのです。

 

BMWとしては、ミッドシップエンジンの車は未経験なので。

ランボルギーニに開発とシャシー関連の製造を委託した

ということです。

 

やはり、得手不得手があって、さすがのBMWでも出来ない

ものは、やはり外注なんだなと思いました。

 

この車は、レーシングカーの様なシャシーから始まり、

FRPをふんだんに使い軽量化を図り、1977年に試作車が

始めて走ったのです。

 

ただ、その後の進行状況も遅く、ランボルギーニへの委託も

変更せざるをえなくなってしまったのです。

 

結局は、シュトゥットガルトのバウアに委託先を変更して1978年に

パリサロンで発表となったのです。

 

ただ、この大変な生産行程が遅れに遅れて、週2台の初期目標が

月3台ぐらいのペースに落ち込んでしまったため、グループ4の

参戦条項には当てはまらずに、このままレースに出ずに終わるか

に思えた時、フォーミュラ1の前座で「プロカーレース」を企画

ある程度の成功は収めたということでした。

 

時代の流れは、思うような形にならず、M1のカーレース活動は

短命に終わったのです。

総生産台数は、477台ということでした。

 

このオイルショックの荒波は、当時のランボルギーニだけでななく

自動車業界全体の大きな問題となっていったのです。

 

 

幻の車、童夢―零とは何・・?

童夢―零・・。何・・?

1978年第48回スイスのジュネーブ・モータショー。

 

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E5%A4%A2-%…

 

 

展示会場の片隅に置いてある車が、人々の目を釘付けにしている。

このスーパーカーはどこの国のどこのメーカーだ!?

 

その驚きのもとになったのは、京都のあるメーカーだったのです。

 

市販の予定もない車ですから、販売もされる車かもわかりません。

それなのに、ブルネイ王室やジャッキーチェン、

野球のレジャー・ジャクソンというメンバーが予約オーダーを

したのです。(ウィキ参照)

 

私も、ニュースを聞いて、載っている本等を探しました。

待ってやっと出た本を見て、その車の凄さを知りました。

 

まずその低さです。

 

当時は、車で低いというだけでスーパーカーというイメージが

ありましたから、その数字を見てえ~っという感じでした。

 

その当時では、アメリカで1000mmという車があったということで、

980mmという1mを切った高さのスーパーカーに仕上げたのです。

 

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http://blog.livedoor.jp/you_stupid/tag/%E7%AB%A5%E…

 

ですから、世界一低い車となったわけです。

 

それを造ったのが、「林みのる」という

レーシングカー・コンストラクター「マクランサ」を経営して

いた人です。

 

その人の従兄弟が、ハヤシレーシングのホイールで有名な

「林将一」という人で、ホイールで作った資金をもとにプロジェクト

が出来上がったのです。

 

その計画から、1年3ヶ月の1978年初頭に童夢―零が完成

したのです。

 

そして、その会社が「童夢」ということなんです。

 

1976年から始まったこのプロジェクトのスタッフも、

時間の限りを尽くして制作にかかわったということで、

嫁さんに逃げられたという方も4人ぐらいいたという、

何と厳しい戦いだったのだろうと同情の念を抱きましたね。

 

ちょうどスーパーカーブームが下火になるのと合わせて、

排ガス規制が厳しくなり、「零」にとっても逆風の船出であった

わけです。

 

が、その反響は、子供のグッズだとか、ラジコン、プラモデル等

の関連商品のヒットで車以外のものでの収入が大きかったと

いうことです。

 

ただ国内の環境も厳しく、当時の運輸省も受け付けてもくれない

という事態が待っていたのです。

 

危機を感じたスタッフは、アメリカに法人を造り、許可申請に

奔走したということです。

 

そうして出来上がったのが、童夢P-2という車です。

その後も、市販に向けた戦いをつづけたのですが、残念ながら

市販はされなかったのです。

 

それでも、国産初のスーパーカーブームを作ったということで、

今でも大変人気があるようです。

フェラーリ ディーノは、真のスーパーカーです!

フェラーリは、イタリアのレーシングカーの会社です。

ランボルギーニ社と共にイタリアのスーパーカーを世界に広めた

自動車会社です。

 

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http://jp.autoblog.com/2015/04/12/ferrari-v6-dino-…

 

創始者のエンツォ・フェラーリは、1929年、アロファロメオの

レーシングドライバーから、レース仲間と共に

「ソシエタ・アノニーマ・スクーデリア・フェラーリ」というチーム

を創設します。

 

その後、レーシングドライバーを引退しチーム運営に専念します。

そして、数々の勝利をチームにもたらしたのです。

 

ところが第二次世界大戦で敗戦国となり、ドイツの占領下におかれ

モータースポーツは禁止ということになったのです。

 

その後しばらくして、1947年に、初めてのレーシング

スポーツカーを製造したのが「125S」という車で、

少数受注生産だったのです。

 

その後、レーシングカー製造から市販車にも力を入れるようになった

のですが「12気筒エンジン以外は、フェラーリと呼ばない。」

という信念を持って世界への道を、着実に歩んでいたのです。

 

そのエンツォ・フェラーリが、

病床の長男(アルフレード・フェラーリ=愛称ディーノ)の

アイデアを受け入れたのが、「フェラーリ・ディーノ206/246」

というわけなのです。

 

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http://www.ag-motoyama.com/archive/ferrari_dino206…

 

F2(フォーミュラーカー)は、2000cc6気筒以下とか、

F1のエンジンは1500cc以下とかの制限があり、とくにF2は、

エンジンの生産台数が何台以上という規定があった(今はない)のです。

 

それをクリアするために、フィアットと組んで台数確保のために造った

車でもあったのですね。

 

ですから、ディーノ206は、普通の車ではないという風に考えた

方が正解で、レースのための車ということだったのです。

 

その後、F2の制限が無くなったことと、ポルシェ911が2.4L

ということもあって、246GTが開発されたのです。

 

ディーノ206の生産台数は、わずか152台ということで、

正規には日本に入っていない。

 

ボディはすべてアルミという軽い(900kg)ということだった

のですが、実際はもっと重く走りもそれほどではなかったという

ことです。

 

そんな、じゃじゃ馬的な存在だった206から受け継いだ246は、

普通の運転技術の方でも楽しく運転できるような、乗りやすく

楽しめる車に変わったのです。

 

カーグラフィックの創始者、小林彰太郎氏は

「ディーノ246ほど、ワインロードを速く安全に走れる車はない。」

と言っているという。

 

ディーノ246は、1973年当時で900万円という価格だったにも

かかわらず、中古でも6~700万円の高値で取引されていたという

ことですから、いかに人気があったかということが分かりますね。

 

ディーノ246は、1968~1974年の間に、3761台生産されました。

流れるようなラインは、本当に美しいです。 

ランボルギーニ ミウラ、「個人教授」でも美しく・・。

そうなんです!ランボルギーニ「ミウラ」です。

 

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http://www.ag-motoyama.com/archive/lamborghini_miu…

 

 今思い出すだけでも懐かしく、想い出があります。

17歳の思春期の真っ盛りのころで、恥ずかしいやら感動やらで、

映画の印象は車だけという、感じでした。

 

黄色いランボルギーニ「ミウラ」だったと覚えていますが、

信号で止まっているミウラの横に、主人公の原チャリバイクが止まる。

 

信号が青になると、同時にもうダッシュでスタートを切るのですが、

また信号で捕まってしまう。

そして隣にまた若者のバイクが止まる。

 

それを2~3回繰り返していると、映画館内でも笑いが出ている。

その車には、お金持ちの紳士が乗っていて止まるごとに、ちら見

を繰り返すところが楽しかったですね。

 

その紳士の彼女との、三角関係のような映画だったのですが、

濡れ場面もあってびっくりしたことを思い出します。

何と言っても17歳ですから、当然彼女と行って・・。

じゃなくて、友達と男二人で行ったのです・・さみしく・・。

 

高校の学校がある町は、一応「市」になっていて、一件だけ映画館

があったのですが、映画を見た後ちょっとして潰れてしまいました。

 

なんでその映画を見たのかというと、「白い恋人たち」という

冬季オリンピックの映画が同時にあって、ジャンクロードキリー?の

スキー3冠を取った時のものだったので見に行ったのです。

 

個人教授ではないですから・・。

って、誰も疑いもしないでしょうが・・;。

 

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http://www.carsensor.net/contents/editor/category_…

 

さて、このミウラですが、ランボルギーニというイタリアの

自動車会社で、闘牛牧場のミウラ(闘牛飼育のミウラさんと

いう人の牧場)さんに、ちなんでつけた名前ということです。

 

ミウラは、ミッドシップにV型12気筒という、化け物エンジン

を積んで、350ps(P400)、370ps(P370ps)

385ps(P400SV)という馬力で、300kmのスピード

を出せるという怪物車でした。

 

とにかく綺麗な車で、ベルトーネのデザインもあって、一気に世界に

広まり、100のオーダーが集まったということですから、凄いですね。

ミウラは、最終的に750台が生産されたということです。

 

このミウラの流れるようなスタイルと、1050mmという車高の低さ、

車重量は980kg(P400)という軽さです。

 

世界で、ミウラに勝てる車はないだろうと思えましたね。

 

ところが、それに負けじと頑張ったのが、フェラーリですが、

ランボルギーニ社と20kmしか離れていない所に会社があるという

これもまたすごいですね。

 

競争相手が、見えるところで努力して世界でも有数のスーパーカーの

自動車会社になったということです。すごい、感動です!

サーキットの狼、ロータスヨーロッパ・・!

見ましたか?サーキットの狼。

今日からは、国産から海外のメーカーに目を向けてみたいと思います。

まずは、ロータスヨーロッパです。

 

ヨーロッパ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E…

 

少年ジャンプに、昭和50~54年まで連載された池沢さとしの

「サーキットの狼」に出ていた、風吹裕矢が乗っていた車だった

のですが、私の知り合いも乗っていたので、その良さから

いろいろ思い出して書いてみます。

 

まず、ロータスは、イギリスのスポーツカーメーカー「ロータス・カーズ

で、1966年から1975年まで製造された車で、ロータスセブン

ひき継いで生産されたスーパーカーです。

 

軽量で他のスーパーカーと比べて値段も安く、という目標で開発された

ものということです。

 

シリーズ1という初期の車は、ルノーのエンジン1.5Lのチューン

されたもので、OHVの82馬力のパワーでした。

 

ヨーロッパ S
http://alphawiki.net/gran-turismo5/index.php?%A5%E…

 

このパワーでスーパーカー・・?ということだと思いますが、

車重量がなんとFRPを多く使っているので、610kgという

軽自動車以下の重さしかないのです。

 

それに車高は、1090mmしかないので、空気抵抗は極限に

低くなっているのです。

 

9230台が生産されたのですが、輸出先がフランスということで、

右ハンドルの母国イギリスには、改造された右ハンドルの車がごく

少ない数ですが、販売されたということです。

 

とにかく低い。

 

フォーミュラーの車(FJの運転席しか乗せてもらっていませんが・・)

に乗るような、もぐりこんで乗るという感じで、事故ったらもうアウト

ということですね。

 

1971年には、DOHCのツインカムが登場します。この車は、

フォード製の1.6Lエンジンに変わり、105馬力まで引き上げ

られました。

 

それと、アメリカの安全基準に合わせるためにバーティカルフィン

という後方を見る時に妨げにならないように、切れ下げた形

改善されています。

 

ただエンジンの重さも加わり、711kgという重さになったのです。

さらにまた、1972年には最終型のスペシャルが登場します。

 

スペシャルは、その名の通り、DOHCにビッグバルブという装備で、

インテークバルブの大型化と圧縮比を高めて、126馬力まで

引き上げることになったのです。

 

地面すれすれに走る車なので、やや斜めに寝そべる形で運転して走る

気分は、もうレースそのものです。

 

カーブでの路面の吸い付きもいいし、適度に楽しむというと最高ですね。

 

ただし、彼女を見つけて助手席に乗せる時は、前段にこの車は

こうして乗るから楽しいのだと理解が先になる車です。

 

間違っても突然「乗れよ!」、では「一人でやってろ!」状況に

追い込まれること間違いないでしょう。また、ギアもクラッチ

も硬かった思い出がありますが、それもスーパーカーですね。

NSXは、日本の誇るスーパーカーだ!

<緊張ではない、解放するスポーツだ!>

第2期F1参戦を機に「世界に通用するHondaの顔を持ちたい」
との願いからできた車です。

まさに、スーパーカーそのものです!

 

NSX

http://car-me.jp/articles/984

 

1989年に発表され1990~2005年末まで15年間、

フルモデルチェンジもなく、製造されたのです。

 

価格は1グレードのみで800万円、AT使用は60万円、

ということで日本における当時の車の最高峰でした。

 

1989年と言えば、バブル絶頂期で、もう気分は日本中金持ち

軍団という感じなので、この高い価格であっても、3年先まで

予約がいっぱいになってしまい、1日生産台数25台を倍増措置

を図り対応をしたのです。

 

「何としても、半年で納車を・・!」の掛け声に応えるためにも、

製造工員を倍に、二交代制にしてまで対処したのです。

 

ところが、バブルのはじけて、予約のキャンセルが相次いだのです。

 

2000年頃には、月産で10台ぐらいになり、

日本で売れるのは5台ぐらいまでに下がっていた。

 

2005年末で生産が打ち切られたわけですが、

日米欧総計で、18734台で、日本で売れたのは7415台。

 

2007年時点で現存しているのは、6600台ぐらい

ということです。

 

800万円の車が、17年で800台消えているということは、

64億円が消えたということですね。

(その後、価格は900~1300万円に。)すごいですね。

 

車高を見てみると、1170mmという低さです。

 

さらに低く見せるために、ルーフとピラー部を黒で統一したり

の工夫もしているのです。

 

ちなみに、フェラーリ328だと1120mmですから、

大きさ的にも同じぐらいのものですね。

 

そのフェラーリ328に匹敵する車をということで、

デザイン的にもエンジンパワーも同等の数字を出せる

までに仕上がったのですから、国産メーカーもすごいですよ。

 

馬力に関しては、国内の許可的なものから280ps

抑えられているのですが、許可さえ広がればまだまだ可能

ですよという感じです。

 

そのNSXですが、「ニュー」「スポーツカー」「未知数」

の頭文字ということだそうですが、来年の2016年、

新型のNSXが販売されるとか。

 

NSX2017
http://response.jp/article/2015/10/27/262879.html

 

もう、昭和の46~50年代の頃のように、各社の個性有る車が

みられるかもしれませんね。(わくわくです!)

 

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