カテゴリー‘スポーツカー’

マッハ1!音速の話ではないですよ・・!

マッハ1、音速ではないですよ・・!フォードの車です!

マッハ1=340.29m/S 時速1224km・・・。

ですから、その~、スピードじゃなくて、車なんですが・・。

 

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http://minkara.carview.co.jp/userid/627935/blog/28…

 

なんてうけもしない、寂しい一人芝居をやってる場合じゃない

のですが、ムスタング・マッハ1です。

 

特に初代の話を書いてみたいと思います。

「本当は、この車を早めに書きたかったんじゃないのか?」

と聞かれると、素直に「はい!」です。

 

どうでしょうか?皆さんもご存知の車だと思いますが・・。

 

トヨタ・セリカLBや三菱のギャランGTOのデザインには

大いに影響を与えた車といってもいい車です。

 

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http://www.j-sd.net/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3…

 

ところで、この車には乗ってみたことがないのです・・。

寂しいですね。悔しいですね。

 

今でも乗せてください!と大きな声で叫んでみたい気分です。

表記的には、「Mustang」ということで、マスタングが正解

らしいのですが、日本では、フォード・ムスタングと表記されて

いた時もあったのです。

 

第二次世界大戦後に出生した世代向けのスポーツ感覚で乗れる車

ということで、1964年に発表されて以来大ヒットとなった車

なのです。

 

今でも、比較的に安い価格設定(22200ドル)なので、

人気が高いのですね。(日本では結構高い。)

 

マスタングとは、戦闘機の名前でも有名ですが、「野生馬」

という意味だそうです。

 

マスタングの歴史は、1964年から始まり、大きく分けて

7代ということになるのだそうですが、そのデザインは初代の

マスタングから変わることのない2ドアクーペのデザインに、

こだわった車だったのです。

 

まず初代は、ハードトップのスポーティカーで 発売当初から

人気が高く、販売台数は、全米の記録に残る車だったそうです。

 

車の価格は安く設定して、いろいろチョイス出来るような

オプション設定をして、その人その人の楽しみが出来るように

設定したのです。

 

翌年の1965年には、後のマッハ1に繋がるファストバック

のスタイルの車が登場すると、もう大変です。

 

映画のシーンにあちこちと登場して、これでもかというぐらい

の意気込みだったということです。

 

いろいろ話題を作った初代に続いたのが、二代目の

マスタングです。

 

スポーツルーフという名称で、以前の車よりがっしりとした

感じになり、大きくなった車に生まれ変わったのです。

 

とにかくかっこいいです!

 

このかっこいいマッハ1が、何と栃木県警に寄贈されたこと

はご存知ですか?

 

そのことを知った時には、時々東北高速で栃木の辺りを走り

回りましたが、見れませんでした。・・・残念。

 

 

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http://moonorbit.blog77.fc2.com/blog-date-20110827…

※これはやばい・・。逃げ切れないなあ・・・。

 

今は、鹿沼市の免許センターに展示されているということですが、

機会あったら見てみてくださいね。

 

そして、かっこいい車の映画出演といえば、トヨタ2000GT

も出演した007シリーズです。

そしてまたこの二代目マッハ1も、オイルショックで消えていく

ことになるのです。辛いですね・・・。

デトマソ・パンテーラ・・ご存じですか・・?

デトマソ・パンテーラ・・ご存じですか・・?

デ・トマソという自動車会社も、実はイタリアなのです。

 

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http://ameblo.jp/ghostripon/entry-10279487394.html

 

とにかくイタリアという国柄なのか、レースやスーパーカーにかける

凄さはビックリですね。

 

デ・トマソの創始者は、アレハンドロ・デ・トマソという人で、

レーサーをやっていただけの人物だったということです。

 

このパンテーラは、三代目となるスーパーカーだということですが、

エンジンはフォードの5.8Lエンジンという伊米の合作による車だ

ということで、まあ驚きというか超越しています。

 

パンテーラとは、イタリア語で「豹」という意味で、

襲い掛かるようなイメージの車なんですね。

 

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http://b-cles.jp/car/super/de_tomaso_pantera.html

 

まさに豹って感じ・・。

 

一時は、アメ車にも乗ってみたいと思ったのですが、とにかく

エンジンも何もでかいという事が、まず浮かんできます。

車庫、駐車場、路地・・、世間体・・;。

 

まあ若い時というかそんな時期は、恥ずかしいということと、

目立ちたいということが、背中合わせのようにあるんですよね。

 

なかったですか?でも目立つという点では合格ですが、

さすがに乗ってくれる人はいないかなと思いましたね。

 

男の自分でさえ恥ずかしいと思いましたから・・。

 

一度、クライスラーのどでかい車に乗せてもらったことが

あったのですが、ドライブインなどで止まった時に、

左ハンドルなので、運転している人はす~っと外に出れるけど、

右側から降りると、運転している人と間違えてみているのではと、

周りの視線が気になって・・。

 

それは、意識のし過ぎと言われたことを思い出しました。

 

さて、またまた話がそれましたが、ヨーロッパという国柄は、

エンジンの排気量はそれほど大きくはしないで、ターボや

圧縮比を上げて馬力を高めるという感じですが、アメ車

排気量をどでかくして、トルクパワーでぶん回すという

まったく違った車に対するスタンスがありますね。

 

ですから、デトマソもこのパンテーラをヨーロッパで

売るのではなくて、フォードの販売網使ってアメリカに売る

ということだったらしいです。

 

いろいろ批評を言ってくれる方々は、いつの時代も

どこにでもいると思いますが、このパンテーラもフェラーリや

ランボルギーニのように、自分のところのエンジンではない

から、純粋なスポーツカーではないと言われたことがウィキ

にも載っていました。

 

でも量産という目標については、大成功を収めたのですから、

すばらしいと思います。

 

この時期の車って本当に凄いですよね。

 

デザインにしろパワーにしろ、目立つことというか、

自動車の普及にとってラリーなどのレースは、なくてはならない

ものだったのですね。

 

それにしても、カッコいいですよね~。

パンテーラは、矢田部で、日本で初めての300kmオーバーを

記録しているということです。

 

ラリーのクワトロって知っていますか・・・?

ドイツの自動車メーカー、アウディのクワトロですね。

 

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http://alphawiki.net/gran-turismo5/index.php?%A5%A…

 

アウディの車を見ると、顔の真ん中に輪が4つありますが

フォー・シルバー・リングス・エンブレムという物です。

 

そのリングは、左からアウディ・DKW・ホルヒ・ヴァンダラー

の4社を表すものなのです。

 

第一次世界大戦後のドイツは、世界恐慌の吹き荒れる中で、

経営を維持していくことが厳しくなっていたのです。

 

その時に、お互いの得意とする高級車・中級車・大衆車・

小型車などを協力し合い、生存をかけた、「自動車連合」

という意味の民族系メーカー「アウトウニオンAG」という

自動車会社を作ったのです。(ウィキ参照)

 

その後、厳しい経営もあったのですが、アウディを復活させたのです。

 

1970年代になって、ポルシェのレーシングマシンの 開発部門

にいたフェルディナン・ポルシェの孫、 フェルディナン・ピエヒ

迎えて、本格的なレース参加と技術開発に成果を上げていくのです。

 

その手始めとなったのが、フルタイム4輪駆動システム「クワトロ」

を搭載した、「アウディ・クワトロ」なんですね。

 

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http://car-me.jp/usedcars/articles/4773

 

今は、フォルクスワーゲン社のグループに属していますが、

アウディのファンは、クワトロから始まった人も多くいると

思われますね。

 

WRC(世界ラリー選手権)でも、F1でも有名なモナコ公国。

 

そのモナコのモンテカルロがスタート・ゴールにセットされたのが、

モンテカルロラリーです。

 

1981年からクワトロで参加し、いきなり、ぶっちぎりの走り

を見せて世界を驚かせたのです。

 

リタイアにはなりましたが、6本のSS(スペシャルステージ)

で6分以上の圧倒的強さを見せつけたことは、

当時のラリーファン達に、強大な驚きと感動を与えました。

 

まして当時の4WDは、オフロードの作業用自動車とか、

トラック等の移動用などに多く使われていたのを乗用車に

ということで、ほとんどの人が疑問視していたのです。

 

そんな中でのラリー参戦でしたから、さらに驚かされた

ということなんです。

 

ドライバーのハンヌ・ミッコラの名前は、一気にラリーファンに

知れ渡ることとなりました。

 

そして、イタリア・サンレモで行われた第8戦のサンレモ・ラリーでは、

何とミシェル・ムートンが、WRC史上初の女性優勝者となったのです。

このことも、このクワトロの名を広めることとなったのです。

 

この勢いは次年度からも続いて、WRCでは、打倒クワトロ

みたいな感じまでなって行きました。

 

ですから、このクワトロで、4WDの乗用車利用が広まった

ともいえるのです。

 

とにかく、エンジンの凄さも2133ccのデチューンされ

たエンジンは、DOHCの5気筒ターボ20バルブで

310ps・42.0kg・mというすごいものだったのです。

 

当然、買える物ではなかったのですが、夢にまで出てきましたね。

あの時、宝くじが当たってさえいれば・・・。

 

86とBRZって兄弟・・?

2012年に発表された車で、愛称は86(ハチロク)という

トヨタの車です。でも、造っているのは富士重工業(スバル)・・?

ということなんですね。

 

86
http://carsearch.ne.jp/modules/weblinks/visit.php?…

 

トヨタ2000GTに似ていると思いませんか?
86は、クレイモデルを造る時に、トヨタ2000GT

を隣に置いて造ったんだそうです。

 

ですから、サイドからのウインドラインや前後の

フェンダー形状等空気抵抗の低減には、やはり

2000GTの流れとなっているのです。

 

これほど低めに流れるように造れるのは、やはり

富士重工業(スバル)の水平対向というエンジン

おかげですね。

なんで86?ということが気になりますね。

 

BRZ

http://jp.autoblog.com/2012/02/03/subaru-brz-unvei…

 

それは、トヨタのカローラレビンとスプリンタートレノが

AE86型ということで、「自分だけの1台を育てる」車

だからなんだそうですが、いろいろ悩んだ末に

エキゾーストのマフラーの直径が86ということで決定した

という?わかったようでなんだかな・・ということですね。

 

以前、トヨタ800(ヨタハチ)のことを取り上げてみましたが、

この開発の原点は、そうです、ヨタハチなんです。

 

当時も、ヨタハチの心臓は水平対向エンジンを積んでおり、

そのポテンシャルの良さと車高の低さを工夫して、

さらにデザインは2000GTですからもう最高ということです。

 

最初の発売はというと、スバルのBRZ

(ボクサーエンジン・リアドライヴ・究極のZ)の方が10日早く

発売になっているのですね。

 

月間販売目標の7倍にもなって、若い人だけでなく、年配の人も

乗っているという幅広い支持を受けているということです。

 

心配なお値段の方はというと、199万円からLimitedの

305万円までとなっているようです。

 

あのスタイルとあの走りでの値段としては、皆さんどうですか?

高いですか?

 

英語圏では、86+BRZと合わせて、

toyobaruと呼ばれているそうですが、公式ではないそうです。

 

なぜトヨタが開発に賛同したのか・・?

それは、社内の会議で深刻な若者の車離れがテーマに上がった

からだという。

 

そうですね。先日の発表では、58%?とかいう数字で、

私たちの頃は、女性にもてる要素はまずギターを弾くとか、

カッコいい車に乗っているということが必須条件のように

なっていたので、もう借金しても買うということを

やっていましたね。

 

今思えばどうかなと・・。お前だけだろう・・。

っていやそうでもないですよ。

 

今の若い人では、考えられないようなことだと思いますね。

アイツより俺の方が、みたいな競争心もあって、また、バブル

という経済の流れに乗ってしまったということかもしれません。

 

また話がそれました。

 

さてその86についてですが、FA20型2.0Lのエンジンで、

リッター100psの200psというもので、6速MTと

6速ATもあるということです。

どうですか、乗ってみたいですね~。

MR2,日本初ミッドシップ車!

MR2は、トヨタ自動車が作った日本初のミッドシップ
(前後の車軸の間にエンジンがある車)のスポーツカーです。

 

MR2
http://active04.com/car/mr2/post-7813/

 

1983年の東京モーターショーに発表されて、翌年の6月に

市販されました。

 

キャッチコピーは「背中に二人を熱くさせるハートがある。」という、

いかにも二人乗りということと、ミッドシップ車ということで、

やはり目立つ車でした。

 

初代は1989年まで販売され、二代目に引き継がれました。

 

1.6Lのスーパーチャージャー145psを出すという、

4A-GZ型エンジンを載せての上級車もあって、

今現在でもファンが多くいるということです。

 

ただ、部品供給が2009年で終了したため、現在は廃番部品が

高騰してきているらしい。

 

初代のエンブレムは、七宝焼きで作られていたのは驚きですね。

今はプラスチックで作られているということです。

 

1985年にG-Limitedをベースに「ホワイトランナー」

という限定車を300台販売している。

 

1980年代の中盤に、WRCをセリカで参戦していたのですが、

FRの車ではもう太刀打ちできない状況でもあり、

4WDの開発を計画し、このMR2をベースに造り上げたのです。

 

ただ、このグループSは、死亡事故などが多発したため廃止となり

このラリー車の実戦は、見ることがありませんでした。

 

2代目となるSW20型は、ワンクラス大きくなり、セリカ、

カリーナクラスになり、エンジンも2000㏄となるのです。

 

MR2bhttp://blog.goo.ne.jp/takatoto2006/e/df9e5e5c0ec92…

 

ただ、初代の1000kg未満の重量から200kgも増えたことと、

エンジンパワーが245psまで引き上げられたことに、

足回りやブレーキが弱いとの意見もあって、2年後にマイナーチェンジ

を行い、それまでの弱点を補強したり多くの変更を行ったのです。

 

でも、バブル崩壊という経済の破たんから、スポーツカーへの関心がへり、

徐々に需要が減って、受注生産もやりながら1999年に幕を閉じたのです。

 

次に3代目ですが、「MR-S」という名になり、大きさも小さめになって、

車重量も軽く980kgと初代並みになり、1.8Lの排気量でも

140psを出していたのです。

 

レースのように、ぶっちぎりで運転をするということではなくて、

スポーティなドライブを楽しむということですね。

光岡・ゼロワン・・。国産スポーツカーです・・!!

光岡・ゼロワン・・。国産スポーツカーです・・!!

光岡自動車という日本の10番目の自動車メーカーです。

 

ゼロワン
http://www.at-info.jp/car_search_list/?COUNTRY_ID=…

 

名前は、ご存知でしたか?富山県富山市にある純然たる日本の

自動車メーカーです。

 

昨日書きました、イギリスのモーガンやケーターハムのように

小さい会社ですが、それでも667人(ウィキ参照)の従業員が

働いている会社です。

 

モーガンやケーターハムは100~150人ですから、それと

比べると大きい会社ですね。

 

創業者は、光岡進氏で富山日産から富山日野に移り、日野がトヨタ

と業務提携してからは、商業者販売となり、自分の意志を貫くために

退社して、原付バイクのエンジンを使用してゼロハンカ―を製作した

のです。

 

当時はまだその規制がなく、原付免許や冶自動二輪の免許で乗れる車

という触れ込みで話題性もあったのですが、車社会になるに従い、

安全性が問われるとともに、1985年の道路交通法によって車の免許

でしか乗れなくなってしまったのです。その最後に作ったのが、

BUBU505-Cという車です。50ccの車ですよ!!!

 

 

BUBU505-C http://blogs.yahoo.co.jp/oyaji_sp/11376068.html

 

その後は、工場を閉鎖し在庫の車をすべて専門学校へ寄付をした

ということです。

 

それでも車を造る夢は、ますます強くなって、「ラ・セード」

「ビュート」を造り、ついに「ニア・セブン」という

ロータス・スーパーセブンのレプリカを発表したのです。

 

ニアセブン

http://car-moby.jp/53094

 

この申請によって、光岡自動車は、国内10番目の自動車メーカー

ということになったのです。

 

一時は、そういう小さな車を造っているメーカーもいくつかあり、

話題とはなっていたのですが、カーブでの横転事故や横風に

対する安定性の問題があって、実際に広まって行くには

難しかったようです。

 

私の知り合いも、小さい車を買って新聞配達等に使って

いましたが、3回ぐらい転倒するような事故を起こして

からは乗るのを控えたようでした。

 

さて、このゼロワンですが、ベースになったのは、

ユーノス・ロードスターですが、その車の姿は、まるで

ロータス・スーパー7という感じであり、誰しもがアッ

という衝撃を受けたと思われます。

 

1940年代の車そのままのような車ですから、ちょっと

乗ってみたいとは思っても、中々度胸が必要ですね。

 

皆さんは乗れますか?

 

昨日も越谷の街を車で帰る時、「DOHC4バルブ」の

エンジン音が近くで聞こえるので、辺りを見渡したら、

黄色い車のフェラーリ458の新車「ゴーンゴーン」

とほえるような音を聞かせながら、交差点で右折をしよう

としていました。

 

この年(64歳です。)でも、ワクワクしてくるのですから、

男ってどういう生き物なんですかね・・。

 

女性の皆さんからしたら、

「ん~、いくつになっても子供なんだね~・・。」という

評価でしょうか。

 

でも機会あれば、このゼロワン乗ってみたいですね。

中古車市場では、12~3台出ているようですが、値段は新車

と同じぐらいにプレミアムがついているようですね。

 

モーガン・・?今はあるのかな・・?

モーガン・・?

イギリスの古い自動車メーカーです。今はあるのかな・・?

 

モーガン
http://nostalgiccar.blog.so-net.ne.jp/2010-11-14

 

モーガン、大丈夫あります。

イギリスの自動車メーカーで、今でも健在ということです。

 

しかも、他からの資金を入れないで、ファミリー企業として

やっているということは、これは自動車業界でもすごいことです。

 

1908年が創業ですから、100年が経ったわけですね。

ちょっと車を見ると、昔のオープンカーという感じで、

ロータス7や、スーパー7(ケーターハム)も同じような車を

造っていましたが、実は今でもスーパー7を手造りで造って

いるのです。

 

モーガンb
http://minkara.carview.co.jp/userid/481754/car/471…

 

さてモーガンですが、全従業員150人ぐらいの会社です。

 

ケーターハムも100人の社員で手造りの車を造っている本格的な

自動車会社なんです。

 

この歴史あるデザインに固執し、この車の歴史そのものが、

自動車の歴史のように思われるほどです。以前は越谷周辺でも、

乗っている人を見かけたことがありますが、今はほとんど

見かけることはなくなりました。

 

この3社は、すべてが英国の会社で、やはり手造りという

本物志向を貫き通していることは感動にも値しますね。

 

特にモーガンは、歴史としても古く、それに資本移動もなく

今に至っているということの大変さは、その時その時の経済

の浮き沈みを受け入れながら、今日まで自分たちの力だけで

生き延びて来たということなんです。

 

本当にすごいなあと思います。

創始者の、ヘンリー・フレデリック・スタンリー・モーガンは、

牧師の子として育ったのですが、18歳で鉄道会社に設計技師

として勤務します。

 

24歳の時自分でガレージを建てて、10馬力の15人乗りの

バスを造って売りだしたのです。

 

それが評判がよく、その後のモーガンの基盤となったのです。

モーガンの車は、そのままのデザインをそのまま提供する

というもので、時代の流れを追う一般的な商法ではなく、

基本的なデザインをそのまま生産し続けているのです。

 

当時は、今ではありえない木製のフレームを使っており、

手作業でのレザーシート作りという風に、内装からすべてが

ハンドメイドという車だったのです。

 

今でこそ、木製は内装に絞られていますが、本当にそういう車が

あったのですね。

 

現在は、世界で50のディーラーを通じて販売されているという

ことです。

 

注文時には、手付金として1000ポンドの支払いを受けてから

製造に入るということで、納車まで何と1年半から2年ぐらい

かかるということです。

 

現在、日本での輸入は、モーガンオート・イワセという会社

だそうです。

 

皆さんいかがですか?

 

俳優の、北大路欣也さんが所有しているとか(ウィキ参照)

載っていましたが、本人主演のドラマにも出演していたとか、

車が好きな方はお分かりだと思いますが、そうなんですよね、

見せてあげたいのですよ、「みんな見て~!」状態ですね。

 

女性の方は引いてしまうかもですが・・。

スープラというスポーツカーですが・・・?

スープラというスポーツカーですが、かっこいいですね!

トヨタスープラはご存知ですね。

 

1978年に初めてセリカXX(ダブルエックス)という名で
販売されました。

 

北米仕様では、成人映画の度合いを示す記号なので「スープラ

として販売していたのです。

 

スープラ
http://b-cles.jp/car/meisha/toyota_supra_1st.html

 

三代目からは、スタイルもスポーツカー的なものに変化し、
サーキットが似合う、カッコいいという車になったのです。

 

1986年から1993年までに販売されましたが、

「トヨタ3000GT」というキャッチコピーで売られていました。

 

エンジンも2.0Lから3.0Lまであり、最高馬力は、

国内制限ぎりぎりの280psという性能を誇っていました。

 

その中でも、2.5Lツインターボの1JZ-GTEは、リッター

100ps越えの280psという、国内でも見られないくらい

のリッターあたりのパワーウェイトレシオを誇っていたのです。

 

レースでは、グループAに参戦したのですが、スカイラインGTR

の前ではなすすべもなく1990年には撤退せざるを得なかったのです。

 

四代目となるスープラは、レースを目標に置いた車になって、

その中でも上級車は、シーケンシャル方式のツインターボで、

やはり国内限度の280psという馬力を出していたのです。

 

そして、マニュアルで6速という日本初の 変速機を備えて

いたのです。

 

タイヤも、17インチにインチアップされた物を履いて

いました。さらに、このA80型のRZ-Sには、

前輪225、後輪245という、前後異なったタイヤ

ついていたのです。

 

スープラ4http://blogs.yahoo.co.jp/mijoushort/45639831.html

 

この四代目は、打倒フォード・シエラ、スカイラインGTR、

ホンダNSXを旗印に、いろんなレースに闘いを挑みました。

 

三代目の車体の重さとエンジンのバランスは、その努力は実る

ことなく、超えることの出来ない壁となって撤退してしまうの

ですが、その悔しさという形で、四代目の挑戦は各レース場の花

というくらいに活躍をしていくのです。

 

ただ、また公道を走り、シグナルレーシングをする若者も

多くなって、今でもこの車のファンは多く、年代の割には

中古車市場でもプレミアム的な存在が見られます。

 

「スープラ」という名前の由来は、ラテン語で「至上かつ最高」

とか「上へ」、「超えて」という意味(ウィキ参照)だそうです。

 

今見てもカッコいい車です。

でも、残念ながら、乗ったことがないのです。さみしいですが・・。 

初代のソアラは日本だけだった・・?

初代のソアラという名の高級車は日本だけだった・・?

トヨタの2000GTにつながる高級スポーツカーを目指した

「ソアラ」という車はご存知ですね。

 

ソアラ
http://ameblo.jp/k-staff5555/entry-10313255884.htm…

 

多分、皆さんはご存知だと思います。

なぜそんなに自信ありげに言うかと不思議に思われるかもし

れませんが、初代目から二代目に入った1986年からバブル

景気に突入していくのです。

 

世の中は、お金が回りすぎて大変な時代だったのです。

 

一年の昇給が2万円近くも上がったり、知り合いの不動産屋の

話では、どんな土地でも見つかりさえすれば、午前中に買い

付けて、午後に売りに出すとすぐ買い手がついて、それだけで

数千万の利益が出るんだといって笑っていましたが、

信じられないと思いますね。

 

005.jpg

http://getnews.jp/archives/358888

 

とにかく、金庫からお金があふれ出して大変だよと自慢げに

話をしていました。

 

車はベンツで、毎日高級クラブ通いで散財してもなんでも

ないし、帰りは当然タクシーで都内から他県まで平気で

乗っていましたね。

 

当然それも毎日ですから・・。

そしてチップつきで万札をばら撒くように払うのですよ。

信じられますか?

 

auto-xGO1Cq.jpg

http://www.life-advisor.biz/index.php?FrontPage%2F…

 

その不動産屋さんは、バブル崩壊の1991年冬に倒産

しましたが・・。

 

インフレという名の、乱痴気騒動はまるで滝のような勢いで

沈み込んで消えてしまったのです。

 

残ったのは、その化け物に振り回された残骸が、心まで廃墟

のようになってしまい、本当に「泡」ということでした。

 

そのバブル真っ盛りの時に売りに出されたのですから、

売りに売れて1986~1991年の5年間で、何と

30万台も売れたのです。

 

ソアラb

http://matome.naver.jp/odai/2141224828198345201/21…

 

その大人気の車と、当時の暴走族(それ以前はカミナリ族・・?)

が合体してしまったので、一時は社会問題にまでなってしまい

ました。

 

せっかくの象徴的高級車が、若い兄ちゃん連中に改造され、
街中をピロプロピロプロ・・と鳴らしながら走られた時は、
本当に「なんでそうなるの!=古いです・・。」という

感じでしたね。

 

「世界に一つ、日本にソアラ。」この二代目の時の

キャッチコピーです。

 

それだけ力を入れていたということですね。

 

このソアラのカラー「白」は、
当時日本で初めての「スーパーホワイト」という、白以上に

白い車という感じで、とにかく綺麗な白い車だったと

記憶しています。

 

ただ、これだけの高級車ともなると、いろんな装備をして

豪華さを出していますから、1500kgを超える車重量

があったのです。

 

走っても少しいじらないと大丈夫かなって、感じはして

いました。

 

そこに暴走族の愛用車ということですから、世の中は

読めないですね~。

 

サスペンションもダブルウイッシュボーンという
2000GT以来のものを採用していますし、
やはりいろいろお金はかかっています。

 

私はこの二代目が大好きでしたが、値段的に買えません

でした。バブルは、私にだけ挨拶なしの寂しい出来事

でした。皆さんはどうでしたか・・?

アルシオーネって車はどこのメーカー・・?

アルシオーネって車はどこのメーカーかご存知ですか・・?

「4WDアバンギャルド」、この車のキャッチコピーだそうですが、

あまり記憶にはないですね。

 

アルシオーネ
http://hj-tsubo.seesaa.net/article/235419217.html

 

日本より先にアメリカでの販売が優先された車で、スバル(富士重工業

が造った車です。

 

1985年~1991年ですから、排ガス規制やオイルショックなども

落ち着いた頃という感じだったので、アメリカ進出という勝負に出た

のだろうと思われます。

 

スバル自身も初めてのリトラクタブルヘッドライトを採用した唯一の車

なんです。(現在まで、その後は出ていない。)

 

FF(フロントエンジンフロントドライブ)の車ですが、4WDの車も

あり低価格で乗れるスペシャルティカーという触れ込みだったのです。

 

ですから初めの頃は、的確なコマーシャルが効果を沿うし、人気も

あったのですが、1985年のプラザ合意からの円高によって、

低価格から高級車への転換を図ることになったのです。

 

そのことは、販売戦略の変更を強いられることでもあり、アメリカや

日本での販売を増やすことは難しい状況に追い込まれていったのです。

 

アルシオーネb

http://subaru-philosophy.jp/post/32447427256/%E3%8…

 

この「アルシオーネ」自体は、デザインにしても装備にしても評価は

悪いものではなかったのですが、飛び抜けたエンジンの性能が

良いわけでもなく、車体も1300kgという重さもあり、走りでの

面白さもあまり光ったものではなかったということです。

 

やはり車作りを考えるなら、何か飛び抜けるパワーや走りが重要で、

ファミリーカーとして販売戦略を立てるなら、ホンダシビックの

ように、燃費が良くて人もゆったり乗れて安いという方向戦略か

それとも高級車で値段は高いが、乗ったら安全性やゆったり感、

それにハイパワーで1300kgでも 楽々引っ張っていけるという

触れ込みであればいけるかなと思いますね。

 

車高も1335mmということで、デザインの割には高く設定されて

おりボンネット位置の低さだけは、ホンダのプレリュードと似たような

デザインになってかっこはいいと思うのですが・・。

 

やはり車造りも時代の流れというのがあって、なかなか難しいもの

なんですね。それでも、燃費に対してのアピールにもなったと思う

のですが、空気抵抗値の凄さです。

 

「エアクラフトテクノロジーの血統」というぐらいの自信があった

と思うのですが、日本車で初めてCD(空気抵抗係数)値の0.30

の 壁を越えて、0.29を達成させたのです。

 

これには「さすが飛行機メーカー!!」という印象を与えてくれました。

 

もう少し、時代の波に乗っていたらという残念な感じもしますが、

各自動車メーカーのカタログに空気抵抗値が載るようになった

きっかけは、この「アルシオーネ」の功績とも言えるでしょう。

 

スバルでは、初めてレガシーを乗ったのですが、280psの

パワーでワゴン車という発想も素晴らしいですね。

 

走りもよく、高速で150~160kmぐらいで

(捕まらないように・・。)走っていても安定していて、

すごく楽しい車でしたね・・。 

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