カテゴリー‘絶版車’

チェリーというじゃじゃ馬がいました・・。

「チェリー」は日産自動車の車ですが、元々は、
プリンス自動車工業の開発車で、次世代の前輪駆動の車でした。

 

チェリー

http://vintage-car.net/2015/07/30/nissan-cherry-x1…

 

プリンス自動車をウィキで調べてみますと、

プリンス自動車は、1966年8月に日産自動車に吸収合併されたのですが、

グロリア・スカイラインやホーミーなどの車が、日産に引き継がれています。

 

プリンスは、立川飛行機の社員だった外山氏、田中氏らの技術者によって

東京電気自動車からのスタートということででした。

 

1951年からガソリン自動車開発に転身し、石橋正二郎(ブリジストン)

の支援があって、中島飛行機系の富士精密工業との合併とかいろいろな遍歴を

経てプリンスとなり、そして日産に吸収されるまで、苦労が多かった会社

といえますね。

 

日産自動車との吸収合併時は、石橋氏が代表取締役会長となっています。

 

その日産自動車の、初の前輪駆動車(FF)となったのがチェリー

という車のです。

 

第二次世界大戦の敗戦後、7年間の飛行機製造が禁じられ

その12年後に、YS-11が初飛行となるのですが、

また10年後に生産を終了してからは、その後は造られてはいません。

 

飛行機を造っていた技術者の人たちは、その技術を生かすためにも、

自動車という世界に入る選択肢が、多かったのでしょうね。

 

最近ようやく、三菱航空機MRJを開発後、7年を経て去年、

初飛行を行いました。

 

あ、すみません、また話がそれました。

ついでに、これも余談ですが、「プリンス自動車」は、皇室の御料車

として試作を重ね、日産との合併後、「ニッサンプリンスロイヤル」

の名前で宮内庁に納車していました。

 

ということで、雑談は終了しましょう。

 

チェリー」は、1970年(個性ある車の絶頂期の時期です。)に、

東京モーターショーで発表され、A10型、A12型エンジン

(以前書きましたサニーGX5のエンジン)を載せた、

サニークラスの一ランク下げた車のとして、開発をされて

いたのです。ターゲットは、初めて車を持つ若者ということで

販売されました。

 

エンジンは前述した通り、A12型と1000ccのA10型という

小さ目な車だったのです。ところが、車の重量が670kg

軽自動車に匹敵するような軽さです。

 

A12型のエンジンは80ps以上の馬力を持っていたので、

その辺の車では太刀打ちできない速さを持っていました。

 

速い車を作るには、確かにエンジンが強力で、回るエンジンの

車でないと話になりませんが、1.2tもある車と0.6tの

車では、もの凄い差が出てきます。

 

カーブでも、その半径の大きさによって違いますが、重いと

遠心力が強く、タイヤが車を抑えきれません。

 

ですから、そのバランスがうまいのはベンツのような

ドイツ車ですね。車を売るためにはどうするか?

ドイツ車とわかるようにするにはどうするか?

 

ということになって、ドイツにしかないものにするには、

資質を極度に高め、バランスのとれた高くても売れる

世界一安全な車と創るということに徹底したのです。

 

それが、ベンツでありBMWでありアウディでもあるのですが、

残念ながらワーゲンは、信用を失うことをしてしまいましたね。

また話がそれてしまいました。

 

そのA12型エンジンを載せた「セミファストバック」の車は、

オーバーフェンダーを付けた走り屋になって、1973年に

発表されました。

 

それが、「チェリー1200X-1・R」です。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

http://tosdotti.exblog.jp/4999972/

 

FF車は、カーブでは内側に切り込むようになる

オーバーステア)ので、FRの車に乗っていた方は

注意が必要です。

 

ちょっとシフトの遊び(日産系に多かった?)が出ていた車に乗ったので、

それがちょっと気になりましたが・・。

乗っては楽しい車でしたね。

サバンナ、GTRの連勝を止めた車!

マツダといえば、ロータリーの名で通っていると言っても過言

ではありません。

 

サバンナhttp://minkara.carview.co.jp/userid/1602894/car/14…

 

コスモからスタートして、ファミリア、ルーチェ、カペラと

続いてサバンナとなるのですが、他の車と違うのは、今までの

高級セダン的な雰囲気から若い人達向けの車という感じに

変わりました。

 

サバンナは、その後のセブン(RX7)に繋がるモータースポーツ

の方向性へ転換していったのです。

 

サバンナは、1971~1978年まで生産されました。

輸出名がRXー3で、ロータリー専用車だったのです。

 

エンジンはそれほど強力という訳ではなく、10Aエンジン

の105馬力というものでした。

 

サバンナRhttp://minkara.carview.co.jp/userid/1717668/car/12…

 

翌年には、サバンナGTが発表されて、エンジンも120馬力

の12Aエンジンに変わり、レースでの実績もあり価格の安さ

もあって、スポーティカーとしての人気も出てきたのです。

 

それを決定づけたのが、

1971年12月の富士ツーリストトロフィー500マイルのレースで

スカイラインの連勝を50で止めたということです。

 

もう歓喜の状態で優勝を祝っていたことを思い出します。

一気にロータリーの名がとどろき渡るという感じでしたね。

 

米軍立川基地で行われていたゼロヨンレースでは、

サバンナのフルチューン車とポルシェ911のチューン車

との闘いは凄かったです。

 

スタートの時には、空吹かしをしてエンジンを回すのですが、

ギューンギューンという通常の音ではなくて、バキンバキン

というフライホールがついてないのかというぐらいの

吹け上がりの音でしたね。

 

スタートの合図で走り出したのですが、ロータリーの音は

キーンという音と共にものすごい早さで、ポルシェはバキー

という音と同時にリアエンジンの凄さか、お尻をスコンと

やや下げた状態を、そのまま保ち走る姿は、飛行機の離陸か

と思えたほどでした。

 

国産のサバンナが堂々と対等に走っている姿は、シビレましたね。

 

ドラッグスター(米軍の)の参加で、最高潮に盛り上がり、

タイヤをスピンさせたとたんガオー状態で走りました。

 

そのサバンナから、マツダの車は凄いというイメージが残って、

私も真っ赤なコスモに乗ってみました。

 

クーペ状の車でしたが、ちょっとエンジンの割には、足回りが

弱い感じがしました。

 

日本の車全般に言えることですが、やはりドイツ車のバランスの

取れた感じとは違っているので、カーブでの走りにはもう少し

改善が必要に思います。

 

そのサバンナもRX7に移り、RX8から来年にはRX9

発売になる?かもですね。

皆さん、期待しましょう!!  

47万円?そんな車アルト・・?

すみません。うけもしない話で・・。さて、47万円

定価ですよ。これは本当の話で、1979年に発売された

「スズキアルト」という車です。

 

アルト
https://gazoo.com/car/history/Pages/car_history_07…

 

今年でアルトは、37年の歴史になるんですね。

 

2014年末で483万台という大ヒットというか、

スズキイコール「アルト」といっても過言ではないでしょう。

 

そのアルトの車に、何とリッター100psの車が誕生したのです。

1987年のことですが、いわゆる「アルトワークス」ですね。

 

FFと4WDとの2種の駆動方式だったのですが、この「ワークス」

(当時は、単にこう呼んでいた)は、ダイハツミラの対抗馬として

開発されたのです。

この時に、軽自動車の馬力の出力制限が設けられてしまったのです。

 

その後、足回りのバランスやエンジンとの絡みを改善をして

1992年ラリーでは、打倒ダイハツミラX4Rという旗印の

下で、「ワークスR」を発売しました。

 

アルトワークスRhttp://response.jp/assistance/usedcar/detail/CU401…

 

そして、全日本ラリー選手権に参加。

その翌年から2年連続で、全日本ラリー選手権Aクラスと

全日本ダートトライアル選手権A1クラスで優勝しているのです。

 

どんな車だったのかということですが、もう丸っきりの

レース仕様という感じで、軽量化をするために、エアコン、

パワーウインドウはなし、そして後部の椅子は、アルトバン

用の軽い椅子に変更。

 

もう完全なといってもいい程、レース指向の車だったのです。

それにしても、姉たちもアルトを乗っていたので、47万円

の車を体験はしています。

 

それにしても当時でさえ、軽自動車の通常価格は 60万以上

だったのですから、とんでもない車が販売されたということに

なったのです。

 

まあ、今回の燃費問題では、やはり信用的には悪い印象

ではあったと思います。

 

それでも、普通車を販売して来たメーカーの場合と61年

もの間、軽自動車を販売し続けて来たのです。

 

累計の燃料消費量・排ガスの排出量を考えたら、環境にも

配慮された経営方針の会社という実績は理解されますね。

 

アルトの483万台は、普通車と軽自動車では排気量が全然

違うわけですからね。まあ、私個人の偏見ではありますが・・。

 

2000年には、国土交通省の「優ー低排出ガス車」認定を

軽自動車で初めて取得しているのです。

 

ただこの年に、「ワークス」は廃止されました。

 

「ワークスR」という車も、一時代の車社会における

軽自動車の存在感を印象づけた車でした。

 

2000年には、インドでの生産販売という海外展開を

開始して、日本車の優秀さを世界に記したともいえます。

 

今、若い世代の方が車離れをしているという話を耳に

しますが、ちょっとさみしい感じがしますね・・。

プレリュード(前奏曲)・・音楽?

プレリュード(前奏曲)・・音楽?なんて受けませんね・・。

音楽の名前が付いた車というと、ホンダですね。

 

プレリュード

https://sites.google.com/site/littlewheel2008/Home…

 

バラード、コンチェルト、この名前もホンダの車です。

 

ウィキを見てみると、「プレリュード」という名前は、
トヨタが商標登録していたのをホンダが譲り受けた
ということなんですね。

 

この「プレリュード」は、五代目まで生産されていたのですが、
1978~2001年まで23年間の歴史を閉じたのです。

 

私が好きだった(すみません、独断と偏見ですが・・。)のは、
三代目の車です。

 

初代もコンパクトな車で、欧州系向けの車だったという面もあり、
80%が海外というホンダの凄さですね。

 

創始者の本田宗一郎氏は、
二輪では世界のホンダというくらい名が売れていましたから、
当然のように海外での評判も上々だったのです。

 

なんと、販売台数が、31.3万台(約4年間で・・。)という実績です。

 

2台目となると今度は、国内でも人気の車でしたが、
デザインも当時としては斬新で、特に女性に人気があったのです。

 

そして、ちょっと意味がよく分からないのですが、
運転席側で助手席の椅子をリクライニングすることが出来るように
運転席側にも操作ノブが付いていたという事で、まあ何でしょうね・・?

 

ホンダもここまで気を遣ってくれていたということですね。
まあ、本題に入りまして・・。さて三代目の登場です。

 

プレリュードb
http://minkara.carview.co.jp/userid/1085558/car/89…

 

この車は、1987年から1991年まで4年間生産されました。

 

二代目を継承するデザインでしたが、
ボンネットの高さをフェラーリに匹敵する高さだという
ふれ込みをしていましたね。

 

また、スバルのアルシオーネの顔と似たような女性受けする車で、
エンジンもDOHCの16バルブで160psまで引き上げています。

 

アルシオーネと比べると馬力はそこそこの感じですが、
車自体の重さが300kg弱軽くなっていますから、
当然として走りは違ってきます。

 

ただ、ホンダの弱点というとエンジンにしても壊れやすい
ということはよく言われていましたね。

 

結構ホンダ車を乗っている人は、そんな話をしていましたから、
そうかなとも思いましたが、多分ホンダ車全般に言えることですが、
乗っていて面白い車なんですよね。

 

特に、エンジンのフケ上がりの良さは一度味わうと、
気持ちが良いくらいの感じて、特にCVCC以前の車は
「乗る人を選ぶ!!」とまでは言い過ぎかもしれませんが、
確かに回し過ぎるかもしれないですね。

 

そのことを思うと、「壊れ易い」のではなくて、 「壊し易い?」

という事なんだと自分なりに納得しました。

 

国産車全般に言えたことなんですが、
やはり足回りの弱さというかバランスのセッティングは、
やはりもう少しお金をかけて造って欲しいな
とよく思っていました。

 

特にドイツ車との差はちょっと埋められるかな
(すみません。独断と凄い偏見です・・。)という感じでしたね。

 

CMには、ジャンギャバンとアランドロンの
「地下室のメロディー」が流れて、女性の皆さんは胸きゅんかなと・・。

ホンダ1200RSはミニクーパー・・?

ホンダ1200RSはミニクーパー・・?という感じでした。

この車は、ホンダシビックの1車種ですが、あまりご存知

ないかもしれませんね。

 

 

1200RShttp://www.mbok.jp/item/item_470495946.html

 

やはり、排気ガス規制前の頃に発売された車ですが、ホンダとしても

N360に次ぐ世界戦略車として世に出したのです。

 

当時は、徐々には排ガスの規制に入る頃だったので、どんな車であれ

スポーツ車には、当時の運輸省としても目を光らせていたわけです。

 

高性能車を、発売するということは、その最前線の睨みをクリア

しなければならないような事態になっていたのです。

 

ですから、この1200RSは、その睨みを感じながら販売

されたような車なのです。

 

1200ccで76馬力ということですが、車両重量が600

~650kgという軽さですから、この車のハンドリングや

走りの機敏さという点では、他では味わえない程

面白かったですね。

 

1200RSbhttp://minkara.carview.co.jp/userid/1495033/blog/3…

 

私も一年ぐらい乗っていましたから、そのドライビングは正に

ジムカーナのような走りをさせてくれる車でしたね。

オレンジ色が基本のモデルカラーでしたので、ほとんどオレンジ

が多かったです。(私の車もアレンジで・・。)

 

木製のハンドルバケット系の薄めのシートに座ると、ちょっと

したレースにでも出て走るような感覚で楽しかったですね。

 

N360の大ヒットから訴訟問題、さらにホンダ1300の不振と

四輪の販売展開に大きく後退せざるを得ないような事態を、

このシビックが巻き返してくれたのです。

 

そして、第一次オイルショックやマスキー法などの排ガス規制でも、

CVCCというエンジンで乗り切り、20世紀優秀技術車として、

米国自動車技術者協会から表彰を受けたのです。

 

1972年から1979年までの7年間は、自動車業界の氷河期

のような時期ともいえる状況だったのに、ホンダの信念が

大ヒットに結びつけたのかなと思えるほど売れたのです。

 

RSのスタイルは、ちょうどイギリスのミニクーパーという

雰囲気でした。

 

二代目から、七代目までの38年間、世界で売れた車としては、

他に例がないほどの長い歴史を刻んだ車でした。

 

今では大きくなって、2.0Lほどのエンジンになっていますが、

2018年から再度シビック北米仕様の車の生産を開始する

ということを正式に発表されているようです。

 

1200RSの乗る技術も、少し腕が必要ですが、エンジンの

吹け上がりも素晴らしいし、街中でも高速道路でも他の車に

引けを取るようなことはなかったですね。

 

こんな小さな車で、室内も狭くなく大人が4人乗っても、

それほど負担がかかるということはなったように覚えています。

 

この頃は、楽しい車がいっぱいでしたね・・。

ベレットGTはモータースポーツ界の王者だった・・?

ベレットGTはモータースポーツ界の王者だった・・?
   
いすゞ自動車」のベレットGTは、「ベレG」の愛称でも

親しまれた車で、スカイラインが出てくるまではサーキットを、

我が物顔で走っていたといっても良いぐらいの車だったのです。

 

ベレットGT
http://carcast.jp/5159

 

市販車としては、日本初のディスクブレーキを採用した車で、

更に四輪独立懸架による路面追従性の良さと鋭いハンドリングとを

兼ね備えていたこともあり、当時では断トツの性能を誇って

いたのです。

 

その性能から、アルファロメオの異名を取っていたという。

 

そして、1969年には、鈴鹿12時間耐久レースで優勝を飾り、

その車をベースにしたベレットGTR

(正式には、ベレットGTtypeR)が発売されたのです。

 

その車のボンネットは、反射を防ぐために黒く塗られた
(よくラリーではやっていました。)ものを標準装備されて

いたのです。そのエンジンは、GTの1.6L、OHVの

ツインキャブではなく、117クーペ用のDOHCの換装されて、
970kgの軽い車体を190km/hまで引っ張ることが
出来たのです。

 

スカイラインGTも同時期に発表されたのですが、

サーキットでは「ベレG」の方が先に活躍していたのです。

 

GTbベレット

http://firstpodium.ocnk.net/product/7341

 

車のデザインも、サルーン型として出発しているので、
2ドアクーペになっても、スポーツカーという感じではなく、
丸みを帯びたどっちかというとボテッとした(すみません・・。)
感じの車でした。

 

でもレースでの力強さと、じゃじゃ馬的なハンドリングには

人気もありましたが、やはり運転技術のない方には難しい車

でもあったようです。

 

よく横転事故もあったように思い出されます。

 

ただ、「ベレG」の評判もここまでで、周りの開発力の差が

出てしまい、れに排ガス規制の加わって1973年に9年の

歴史をとじることになったのです。

 

とにかく、スカイラインの出現までは、「ベレG」の活躍で

サーキットのファンも目に焼き付けられたことと思います。

 

「ベレG」は、日本で初めて「グランツーリスモ」という

 つまり「GT」という名称をつけた車なのです。

 

私は、筑波サーキットの方でレースを楽しんでいたのですが、

今は車の好きな若者が少なくなってきています。

 

ましてエンジンも改造することとか、昔のような「車をいじる」

ということはなくて、サービスマンに任せてしまっていますね。

 

まあ、タイヤとかの部品の交換ぐらいで、ちょっと寂しいかな

と思います。当然、当時もエンジン等の改造や、ボデーの改造

も厳しいことは言われていました。

 

ただ、ボンネットの中まで見て注意をする警察って、

そんなにはいませんでしたから、懲りない面々として色々

楽しんでいた時代です。

 

吉祥寺駅の近くの交番は、チト「あぶないデカ」という

ことで有名でしたが・・。

 

みなさん、楽しいカーライフを過ごしましょう!

トレノ、レビンはお忘れですか・・・?

忘れてはいませんが、順番で書いていますので・・、
という言い訳ですが、1972年に発売された車です。

 

カローラがレビンで、スプリンターがトレノということですが、

シャシーからエンジンまでほとんどが同じ車なんですね。

 

レビン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E…

※レビン、いいですね!ぶっ飛びマシンでした。

 

じゃじゃ馬っていう感じの車で、友人が乗っていて、

もう少しで暴走族っていうくらいの走りをしていましたが、

まあすごい車でした。

 

オーバーフェンダーが付いている姿は、やはり走り屋のイメージ

がすごく、そのエンジンは、2T-Gという1600ccの排気量で、

2バルブではあったのですが、DOHCで吹け上がりもよく、走って

いても855kgの軽い車体ですから、早かったですよ。

 

カローラでは、「SL」「SR」とかがありましたが、 エンジンを

強力な2T-Gに変えて、 新たにレビンという愛称にしたのです。

 

オーバーフェンダーも通常はFRPという軽いものなんですが、

なんと金属のものまであったというのですから驚きましたね。

 

今もそうですが、レギュラーガソリンとハイオクガソリンがあって

そのパワーも5~10psぐらいは違っていました。

 

ハイオクならハイオク専用車であって、レギュラーガソリンは

入れられないということでした。

その前には、有鉛のみで、その有毒性から無鉛ガソリンにするということを、

世界に先駆けて1986年法律を決めて、日本とアメリカが法律化を決ました。

1973年頃から無鉛にという動きはあったのですが、すぐに無鉛化は出来ない

ため、有鉛・無鉛のガソリンがあって、無鉛レギュラーガソリン仕様なのに、

有鉛を入れて走ったりして遊んでいましたね。馬鹿でしたねホント・・。

 

皆さんは、鉛を入れる意味は解りますか?

 

車の出力を上げるために、空気の圧縮比を上げる必要があったのです。

通常は8.9ぐらいですが、スポーツタイプは10.5とか

ガソリンのオクタン価を上げないと、圧力が上がるために自然発火

してしまうのです。

 

トレノ

http://hillclimb.blog38.fc2.com/blog-entry-164.htm…

※トレノ、じゃじゃ馬でした。かっこいいですね・・。

 

それをノッキングと言いますが、ハイオクにするというのは、

ノッキングを起こさないように、燃えにくくする対策に鉛

(アルキル鉛)を添加していたわけです。

 

ところが、1970年5月、東京都新宿区の牛込柳町交差点の周辺

の住民から健康異常が見つかり、鉛中毒ということが判明して、

それから無鉛化対策となって行ったのです。

 

現在のオクタン価は、レギュラーが89・0以上ハイオクが

96.0以上となっているようですが、それではみなさん質問です。

レースガス(レース用ガソリン)のオクタン価は、 どれくらい

あると思いますか?

 

まあ、企業秘密もあって難しいのですが、110~120ぐらい

あるということです。

 

筑波サーキットであったのですが、事故でレースガスが燃えると

どんな炎になるでしょうか?

 

そうです!正解です!見えません!炎が見えないし煙も出ません。

 

ですから、出来るだけ大げさなジェスチャーで周りに教えて

あげるのです。

 

あれ、また話が逸れました。レビン・トレノ思い出してくださいね。 

スバルっていえばレガシィって言い過ぎですか・・・。

レガシーと書いてあることがありますが、
名誉のために正式名称は「レガシィ」ということです。

 

レガシィはご存知の通り、アルシオーネSVXが生産終了となってからは、
まさにスバルの看板娘?ではないですね、
看板野郎ということかもしれませんね

 

レガシィ

http://minkara.carview.co.jp/userid/292362/car/177…

※レガシィ、初代の直線美です。

 

スバルは、富士重工業というのメーカーで、
元々は、かの有名な軍需産業の中島飛行機がそのルーツなのです。

 

え、軍需産業の飛行機メーカーが車を造ったってほんと!」
というわざとらしい言葉を並べてみましたが凄いことなんです。

 

飛行機メーカーが車を造るなんてありえないよ
って感じですが、本当なんですね。

 

ただ、それが民間企業としての生き残りでは
大変な苦労もあったんですね。

 

当然、会社がうまくいかなければ倒産するということです。

 

ですからスバルの車産業では、初めは身売りのうわさが出るほどの

大変さでしたが、それを払拭したのがレガシィなんです。

 

初代のレガシィは、1989年に発売になった、BC・BF・BJ型

のモデルで、スバル1000依頼のジリ貧から光が当たるヒット作品

となったのです。

 

そのエンジンは、「RS」グレードに載った「EJ20」ターボは、
何と220PSの今までのワゴンクラスにはない最強の車だったのです。

 

やはりリッター100超えですね。

 

さらに、テストドライバーのチーフは、車両研究実験部の辰巳英治が

担当し、テストコースだけでなく、世界のあらゆるところを走り

つくして造ったいわゆる、辰巳氏の単独意見の車だったというのです。

 

凄いというか、会社の存続さえも危ぶまれていたというのに

よく役員の方が承諾したと思いますね。

 

そのレガシィは、デビュー前の走行で、アメリカ・アリゾナ州

フェニックスで行われた10万km耐久走行で、

平均速度223.345kmを達成し国際記録を作ったのです。

 

さらにバブル景気もあって、「ハイパワー4WDツーリングワゴン
という独自のカテゴリーを創造したのです。

 

初代のレガシィは、スバルという新しいブランドを向上させるためにも、

世界の車メーカーに必死の戦いを挑み、ついに世界ラリー選手権(WRC)

の1993年、初優勝を成し遂げたのです。

 

レガシィ3代目

http://b-cles.jp/car/purchase_used/legacy_wgn_3rd….

※3代目です。いい車でした。

 

実は、3代目のレガシィには、私も乗っていました。

3代目に載せられた「EJ20R」型のエンジンは、GT-Bという車で、

世界で始めて2000ccで280PSの高馬力を達成したのです。

これはレース車ではなく、一般販売の車なんですよ。

 

え、どんだけ!!という感じですね。

 

本当に凄いということがぴったりの車でした。

 

恥ずかしいのですが、その車で、外環を走りオーバーヒートさせ

エンジンを壊してしまいました。

 

大泉ジャンクションで、一般道に出ようとしてブレーキングしていたら、

エンジンがいきなり停止。

 

一巻の終わりという事態で、その後はジャスのレッカーで引いてもらう

という情けないものでした。

 

皆さん、車は優しく扱いましょう!・・・でした。

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