カテゴリー‘絶版車’

AMC・グレムリンとペーサーは、醜い車ベスト6位・・・?

 

グレムリンは、AMC(アメリカン・モーターズ社)の車で、

1970~1978年にかけて販売された車です。

 

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http://reforma.blog135.fc2.com/blog-entry-281.html

 

1960年代のアメリカンというと、

マッスルカーとかポニーカーとか若者が乗るような車を

そんな呼び方で呼んでいました。

 

代表車種としては、フォードのムスタングがありますが、

の他にはダッジチャレンジャー、シボレーカマロという車

が受けていた時代です。

 

石油も公害もそれほど問題になっていない時代ですから、

排気量は4000~6000ccという日本でいえば化け物

という感じのエンジンですね。

 

グレムリンとペーサーという車は、

AMC(アメリカン・モーターズ社)という自動車会社

の車で、1970年代の変わった、余りデザイン的にも

どうかな?という感じだったのです。(車には失礼ですね。)

 

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https://sumally.com/search?target=item&q=AMC

 

当然、排ガス規制に突入した時期なので、車もエンジンも

だんだん小さくなっていったのですが、何とその斬新な

スタイルが受け始めて、1974年には17万台も売れた

のです。

 

1978年まで(残念ながら、この年にルノーに身売りとなった。)

67万台も売れたのです。

 

初期のベーシックモデルは、1875ドル(今の80万円ぐらい)

という設定もよかったのかなと言うことですが、

それにしても醜い車のベストテンに入るという

(大きなお世話のように思えますが・・。)

まあ誰が決めたのかは探らないようにしましょう。

 

何といってもそのデザインですが、気持ちいいぐらいに

スパッと切り落としたような感じで、まあ、私もン~と

ちょっと考え込んでしまいますが、でもよく見ると

それほどでもないですよね。

 

何かこう味があるというか、古いロードスターのお尻の

ような感じもしないではないですね。

 

名誉のために言っておきたいのですが、レースでは頑張った

のですよ。

 

台数が売れていたこともあって、値段的にも改造には

もってこいの条件があっていたという訳です。

ちょっとしたレースに出るには、新車価格+その3倍の金額

がチューニングに掛かります。

 

つまり、100万円の車だと合計400万円になるということです。

(私がやっていた40年前の時代ですが・・。)

 

そして、AMCの最後?の掛けとして、革新的なペーサー

企画し販売したのです。

 

テーマは、10年先の車ということですが、前後は短く横には

広くドアは左右非対称で、まあ、未来カー?だったということ

ですね。

 

ところが、この車も又大人気となって売れたのです。

AMC自体も経営が危うい時期だったので、喜んだのですが、

アメリカ特有のアフターフォローや品質の悪さもあって

人気が落ちると平行して身売りとなっていったのです。

 

一部では「このペーサーこそ1970年代のアメリカ車だ。」

(ウィキ参照)という声もあるということです。

ファッション性があって、女性向きかなと思いますが・・。

いつかはクラウン・・、だったのですが・・。

いつかはクラウン・・。

古いトヨタのクラウンの話になりますが、このコマーシャルに

「よし、頑張るぞ!」と意気込みで生活をしていたことを思い出します。

 

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https://www.webcartop.jp/2015/03/7419

 

当時は、高校を卒業して、すぐ親父の土建業を手伝うことに

決めていました。

 

親父は、免許取りたての私に「運転をしろ。」と言ったのです。

 

運転させられた車が、二代目クラウンステーションワゴン

でしたが、教習所でもクラウンかセドリックの時代でしたから、

乗れないことはないだろうと運転しました。

 

山形の田舎から出てきたばっかりの者に「さあ運転しろ!」

ですからね、すぐ擦ったり角をぶつけたり、横に乗っている

親父も「あのなあ・・。」と絶句状態でした。

 

大きい事故は起こしませんでしたが、「車は傷だらけの人生」

ということでしたね。

 

そのおかげかはわかりませんが、運転は結構うまくなりました。

とにかく、コロナ1500DX、クラウンワゴン、トラック・・、

その他現場の車をいろいろ乗っていましたから、

まあ自分で言うのも何ですが、上手くはなりますね。

 

TS320234

http://uechi.exblog.jp/5511330/

 

そのうちに、すぐガソリンスタンドのスタッフや整備工場の

スタッフ、板金屋のスタッフと仲間を集めてチームを作り

ラリーとサーキットの参戦をやり始めたのです。

 

筑波のサーキットには、朝2時半頃から出かけて行かない

と間に合わないし、ラリーの練習には夜10時ごろから

出かけて行くという、まあ、親父もあきれて何にも

言わなくなっていましたね。

 

今思えば本当に我儘をやってきたなと反省しています。

これは本当です。後悔はしていないけど反省はしています。

 

今でも車は好きですし、時間があれば高速を飛ばしてみたい

と思いますが、なかなか時間が取れないのです。

 

昔話をするようになったら隠居ですよ、とこれを読んでくれて

いる友人からも言われてはいますが、そうかもなと納得

しながら書いています。

 

私事ですが、22歳の時父が倒れ借金を背負い、父の看病や

交通事故の後遺症といろいろ疲れと共に、今度は自分も

動けなくなってしまったのです。

 

それをきっかけに車遊びを止めて、未知の「治療家」

を目指そうとこの世界に入って今に至っています。

 

その時のクラウンのキャッチコピーが「白いクラウン」という

三代目の車でした。

 

この時のクラウンが今でも好きですね。

身体が思うように動かせなく、毎日が闘いの中でしたから、

気持ちを強く持てないまま、それでも「きっと良くなってやる!」

呪文のように唱えていました。

 

この三代目は、1971年までの4年しか販売されませんでしたが、

その2ドアハードトップは今でも乗ってみたい車です。

 

今日は、なんか昔話を書いてしまいましたが、

皆さんも越えなきゃならない時ってあったと思います。

諦めずに、続けることが一番大切ですね。

 

今、何かわからない症状で悩んでおられたら、

過去に事故や何らかのケガがなかったかを思い出して

みてください。

 

解決する道がきっと見つかりますよ。

 

かぶと虫とカルマン・・?

かぶと虫・・?

それは、ワーゲンビートルです。

1938年から2003年までの65年間の生産歴史がある車は

世界でもほとんどありません。

 

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http://jp.autoblog.com/volkswagen/beetle/

 

なんと、累計生産台数が2153万台という数字は、もう二度と

記録する車は現れないだろうといわれています。

 

1920年代から、フェルディナント・ポルシェによって

小型高性能という大衆車の普及が、あのヒットラーの大衆政策

と結びつくことによって実現したものなのです。

 

ただ、第二次世界大戦という中で、その工場が破壊されたり、

ヒトラーの動向でも影響受けた自動車メーカーでした。

 

戦後はフォルクスワーゲンの工場はイギリスによって

管理されたが、西ドイツ国内からアメリカ合衆国はじめ

海外への輸出に成功し、戦後の復興に大きく貢献したのです。

 

ドイツでは、1978年に生産が終了していますが、

この頃の排ガス規制により、欧米の各国は、 登録禁止の

処置にまでされたことがある車なのです。

 

その後、1998年からは、ニュービートルということで

生産を再開しています。

 

そのニュービートルは、以前のフォルクスワーゲンのデザインを

世襲したもので、ほとんどそのままの形で販売されています。

 

世界的な輸送機器販売台数といえば、

ホンダのスーパーカブですが、どれくらい売れていると思いますか?

 

なんと、2014年3月現在で、8700万台ということです。

すごいですね。

 

さて、先ほどから書いていますが、ヒトラーとポルシェの車好きな

ことが、この車の大衆的で高性能という、厳しい条件をクリア

させたのです。

 

その条件とは、丈夫で長持ち・維持費が安く・家族的5人乗り・

成人なら4人・巡航速度100km/h・燃費で14.3km以上

ということで、更に1000マルク以下の販売価格ということですから、

相当厳しいものだったといわれています。

 

かぶと虫から生まれた、カルマンギアという車はご存知ですか?

 

イタリアのカロッツェリア・ギアがデザインした中々の車です。

 

中々というのは、このカルマンギアもそうですが、空冷エンジン

本田宗一郎氏もこだわった)で1200ccから後に

1600ccまでに引き上げありましたが、馬力不足は否めない

ことで、プアマンポルシェ(貧乏人のポルシェ)という

評判までついた車です。

 

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http://cartown.jp/usedcar/volkswagen/karmann-ghia/…

 

でも、世界的に売れた車として、今でもそのファンが

支えているようです。

マークⅡGSSって、ご存じですか・・?

コロナマークⅡGSSってご存じですか?

トヨタのコロナ1600GTのお兄さんですが、あまり知らない

方が多いかもしれません。

エンジンは、8R型1900ccという、当時でも中途半端に感じる

排気量でしたが、シングルキャブレターとSUツインキャブレター、

それにGSSのDOHC(10R型)がありました。

 

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http://yamada25tm.exblog.jp/16486655/

 

このマークⅡは、コロナとクラウンの間に位置させる高級車的な存在

だったのです。

その中で、スポーツカーに仕上げた車がマークⅡGSSなんです。

140psで、200km/hという当時としてはすごい車だったの

ですね。私が乗っていたのはSLというツインキャブの車です。

 

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http://ameblo.jp/kusahiloid-azunyan/entry-12003180…

 

結構これも力がありました。

人生最初に買った車が、このマークⅡSLで、1年ぐらい乗って

いましたね。

 

エンジンはいじらずに、エアスポイラーを付けたり、

タイヤを変えるくらいでした。

 

でも、ちょっとでも何かを変えてあげると、車が喜んでくれて

いるようで、洗車に半日かけて、ご飯を食べる時間もいらない

くらいに熱中していました。

 

もう40年以上も前のことなので、実際の乗った感覚は薄れて

しまいましたが、シフトノブを透明のものに花弁が入っている

ような物に変えたり、バケツといわれた でかいフォグランプ

つけたり、どれもあまり意味もないことなんですが・・。

 

そして、皆さんは知らないと思いますが、8トラテープというのが

あって、それを車に取り付けて音楽を流すというシチュエーション

を彼女のために必死で考えるのも、青春でしたね。

まあ、自分の好きな音楽も聞いてはいましたが・・。

遠乗りをした時には、よく聞きながら走りまくりましたね。

 

その8トラのテープは、大きいし、値段も高いし、邪魔になって

しまうというのがあって、曲数もないので、友達に「またこれ?」

状態でした。

 

そのSLの上に出たのが、GSSなのです。

正直言いますと、その頃のパンフレットに書いてある性能を表す

数字を見ても、それほど信じているわけではなかったのですが、

一応は比べます。

 

でも最高速度が、書いてある数字をそのまま信じてということは

なかったですね。

 

それでも、GSSの200kmは、1000kgという

軽いボディを195kmぐらいは出たとの話もあり、

当時のスカイラインでさえ190kmは難しいということで

したからね。

 

まあ、そんなにスピードを出すこともないのですが、自分の車の

性能はやはり自慢してしまうというのが、男の性ですね。

 

発売当初は「すてきなパパ、きれいなママ」というCMを

越路吹雪が歌っていたというのが、ウィキに書いてありました。

 

乗ってみても安定性はよかったですね。

東京~山形間は、随分と往復しました。

思い出のある、1台でもありました・・。

 

マツダの「ハイウェイの貴公子」ルーチェって・・?

マツダといえばロータリー!ということは、誰でも知っていること

だと思いますが、以前書いたコスモスポーツ、ファミリアロータリー

クーペ、ルーチェとロータリー3兄弟といわれる車です。

 

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http://sakayans.blog.shinobi.jp/Category/0/91/

 

ロータリーと言えば、電気自動車のような静かな車ですが、

当時はスーパーカーの時代ですから、あまり静かですと「ヴォー」

でなくてもせめて「フオー」ぐらいに音が出る工夫をしていたと

聞いています。

 

ファミリアとコスモ(2代目の)は乗っていました。

ロータリーエンジンは、DOHCのような吠える感じで走ることは

ないので、好き嫌いが強くありました。

 

マツダの当時の車は、今の車と違ってやはり足回りが 甘く

感じられて、車の重心の移動についていけないかなという感じが

しました。

 

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http://clicccar.com/2011/07/16/42041/mazda-luce2/

 

以前1976年のベンツ280SELを大阪から山形まで運転した

ことがありました。

 

25年ぐらい前ですが、東名高速を走り神奈川で、一回トイレタイム

を取っただけですが、そのバランスの良さに驚くというか、

これがベンツかという感じでした。

 

何といっても、高速での吹け上がりとカーブでの食いつきですね。

 

ロールはほとんどかかないし、140kmぐらいで走っても、

乗っている感じは国産の80kmぐらいにしか感じないですからね。

 

今はもう時効ですから話しますが、一番スピードを出したのは、

フェアレディZで乗って、第3京浜で170kmぐらいだったのですが、

この古いベンツでもそこまで行くかなと思いましたね。

当然出しませんでしたが・・。

 

でもドイツ車は本当に違います。

日産プリジデントを乗った時も、クラウンスーパーサルーンを

乗った時も、全くそういう感動はしませんでした。

 

それだけ、アウトバーンの高速道路は、車のバランス性能に

影響させるのかと感心しました。

 

さて、よくルーチェロータリークーペと比べられるのは、

当時の同じジウジアーロのデザインである「117クーペ」。

 

美しさではやはり素晴らしいものがありました。

 

流れるようなラインと、テールのフィニッシュラインや

テールランプはあれ、117かな?」と思えるほど好きな

ラインで、乗ってみたいと思いましたが、値段も一番上級車は、

175万円117クーペの172万円とこれまた似たような

高級車で、とても買える状況の車ではありませんでした。

 

乗ってみての評価は、当時の車の本にFFのために、

やはりハンドリングが甘く足回りとのバランスが出来ていない

ということを書いてあったのを思い出しています。

 

どうしても足回りの弱さは、 国産の研究材料だったと思いました。

それでもどうですか?美しい車ですね。

 

ただ当時のマツダには、まだパーツ等でのフォローが出来ず、

976台の生産で終わってしまったのです。

 

ですから、パーツの補給がないことでも、今現存の台数は

わずかということです。惜しいですね。

 

ホンダN360、Nコロって・・?

ホンダN360、Nコロってすごい車です!

 

n360https://www.toyota.co.jp/Museum/collections/list/d…

 

世界のホンダが、四輪車に挑んだ最初の車がT360という車です。

日本で初めてDOHCのエンジンを載せた、なんと軽トラック

(スポーツトラック)からスタートして、N360を発売したのです。

 

その当時は2ストロークが主流だった時代に、バイクの

ドリームCB450のエンジンを載せたのです。

 

それは、4ストロークエンジンで、DOHC、354ccで何と

31psという事ですが、他社の軽自動車の馬力は20psぐらい

の時ですから、とんでもない車だったのです。

 

そして強制空冷というバイクの動力方式をそのまま入れたような車

ですから、レースのエンジンのような高回転のじゃじゃ馬的なもの

だったのですね。

 

そしてFFという駆動方式で、475kgの軽い車115km/h

までかっ飛び状態にしていくのですから、うるさいということと

振動も少なくなかったのです。

 

通常のシフトレバーは運転席横か、その前に付いているのですが、

この車はインパネの下に着いているので、手を前に出して動かす

ような感じで変速をしていました。

 

n360b
http://www.logsoku.com/r/2ch.sc/poverty/1465478586…

 

とにかく軽では全く相手になるものはなく、いつもぶっちぎり状態の

「Nコロ」でした。

 

ただ、その高性能が仇となってしまったのです。

通常の軽自動車の走行上法律が、最高速度60kmを想定していたのに、

115kmですから慣れない運転者が多く、死亡事故が出てしまい

本田宗一郎氏は、 殺人罪で訴えられてしまったのです。

 

国内でも安い、速いという、人気があってダントツの 販売台数を誇っていた

のですが、この裁判の件から、商業者以外の軽自動車の製造に終止符を打つ

事件となったのです。

 

ただFFという駆動方式に対して、ハンドル操作における不安定さは、

慣れない方であれば振られるようになることは、あり得る事なのかな

と思われますね。

 

やはり、高性能のスポーティカーに乗ることは、その資格的な運転技術

がないと、危険だということを知っていただきたいと思います。

 

以前にも、ボクシングの大場政夫選手コルベット・スティングレイで

カーブを曲がりきれずに亡くなったということがありました。

 

車は、乗って楽しむことにしましょう。公道は、みんなのものですからね。

のんびり景色を楽しむという走りをしましょう。

 

本田宗一郎氏は、この空冷エンジンにこだわりがあり、「Nコロ」以外にも、

ホンダ1300という車も造りました。

 

こだわりの本田宗一郎氏としては、二輪のホンダの空冷エンジンを四輪でも

貫きたかったということだったのですが、一般のお客様の要求からは遠ざかる

ようになり、生産を終了することになったのです。

 

このことが、自分の時代の終わりと感じて第一線から身を引いたのです。

 

本田宗一郎氏は、自分で造り、自分で走り、二輪のホンダから、四輪もホンダへ

の闘いの物語はここで終わったのですが、個性ある車造りの精神は今でも

生き続けていますね。

 

ミニ・クーパーS・・!世界のミニカーです! 

 

ミニ・クーパーはご存知ですか?

オースチンミニ、ローバーミニ、今はBMWミニといろいろ名前を

変えながらも41年の長い間慕われてきた車です。

 

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http://www.carsensor.net/contents/editor/category_…

 

特に、日本での人気も凄いものがあって、今でもその保守専門店

のようなところが全国にあると聞いています。

 

2000年10月に最後のミニが生産されましたが、530万台

にも上る全生産量だったということです。

 

元々はイギリスのBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)

の車です。

1956年に、スエズ動乱が起き、その影響で世界的な石油価格の

高騰が続いたのです。

 

このままでは、普通乗用車では車の維持は難しいという判断から、

1000cc未満で高性能で燃費が良い車を造れという事になり、

この「ミニ」が造られたということです。(ウィキ参照)

 

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http://camaro.exblog.jp/8315363/

 

まず小さいということと、軽くするために全てが簡素ということで、

日本車のように内装をきれいにとかはなく、メーター類の装備も、

目の前の真ん中にどんとメーターがあるだけのような感じだったですね。

 

私もミニのクーパー(Sではなかったので残念ですが・・。)

に以前乗った事があったのですが、ハンドリングのキビキビした反応に、

レースカーに乗ったようなおもしろさを感じました。

 

それまでは、軽の車に乗るということも怖いと思っていたので、

隣に大きな車が来ると「こっちへ来るなよ・・!」

みたいな感じだったことを思い出します。

 

グリーンぽい車に、レーシングカートのようなかわいいタイヤで、

サスペンションも堅めなので、走っては面白かったですね。

 

ミニの車を、F1のクーパー・カー・カンパニーの

経営者ジョン・クーパーは、そのハンドリングのすばらしさに、

レースに使うことを決定し開発をしたという車が

「ミニ・クーパー」です。

 

更に性能を高めたのが「ミニ・クーパーS」ということなんです。

 

モナコ公国でのモンテカルロラリーでは、なんと1964年から

1967年まで総合優勝(1966年は整備で失格となっている。)

を成し遂げているのです。

 

ですから、長さ3m、高さ1.35mで、その車の重さが638kg

という軽さですからぶっ飛びという感じです。

 

一番売れたのが「クーパーS」で1971年まで40000台以上の

生産になるということです。

 

Mr.ビーンさんの愛車でも有名ですね。

 

結構有名人が愛車にしていますが、久本雅美さん・辺見えみりさん・

真鍋かをりさん・上岡龍太郎さんなどが名前が出ていますね。

 

個性ある、良い車はいつまでも残ってくれると良いですね。

乗って楽しい、見て楽しい車でした。

 

あ、今もBMWミニとして販売されていますから、

乗ってみられてはいかがですか?

 

あ、そうそう・・。

峰不二子の愛車も「ミニクーパーS」でしたね。

ルパンが盗んで乗っていましたが・・。

 

コペン・・?どこの車ですか・・?

ダイハツの車です。

スズキと同様で、軽自動車専門メーカーといっても良いくらいに、

国内外で有名ですが、そのダイハツが作ったオープンカーです。

 

1991~1993年には、リーザスパイダーという車があった

のですが、その車はちょっとやっつけ仕事のような車(すみません)

だったのです。

リーザスパイダー
http://www.eris.ais.ne.jp/~t-kondo/vf/gallery.html

 

それは、リーザという乗用車のルーフを切っただけで、それに幌を

付けただけのというような感じで、やはり見た目もバランスも良く

はなかったということです。

 

あまり売れなかった車だったということでした。

 

2002年、その後「コペン」というオープンカーを発売したのです。

名前の由来は「軽オープン」つまり「Kopen」ということだった

のですが、コンパクトカーの意味を取り入れて「Copen」

落ち着いたということです。

 

ブログでもそうですが、名前を付けるというということは大変な作業

なんですね。

 

この「コペン」は、軽では世界初となる、電動で開閉する屋根

アクティブトップ仕様)を持っていたのです。

 

コペン
http://carcast.jp/11561

 

初代のL880K型は、MTとATが販売されていましたが、

価格は同じ設定ということで、ホント珍しいことですね。

 

この車のオーナーの悩みというか、故障として多いのが、

アクティブトップだそうです。

 

自動で開くのは素晴らしいのですが、荷物をトランク

置いてあったりすると、そのままトランクに閉まって

いくので、引っかかって全部が閉まらなく、途中で

止まってしまうことです。

 

こうなると、専門の修理工場に入れないと直せる所があまりない

そうで、デーラーさえも???だそうです。

 

オーナーさんは、気を付けてくださいね。

 

でも、オープンカーの素晴らしさは、今の時期のような春先や

晩秋の季節は、ちょっと寒いけど、風を切って走るバイクの

ような感覚で、ハイウェイや峠の道を走ることですね。

 

ただ、ほこりが車の隙間に入り込むので、掃除が大変なことと

トンネルではいちいち屋根を閉じる動作が大変で、そのまま走る

排ガスの微粒子が顔や洋服にも、ついてしまうことになります。

 

まあそれも、本当はオープンカーの良さなんですけどね。

 

2009年に、特別仕様車の「アルティメットレザーエディション」

という長い名前の車が出ましたが、タイヤがBBSの15インチの

アルミを履いているということことで、昔でいえば、コロナクラスの

普通車のホイールが、13~14インチでしたから、凄いですね。

 

2014年二代目が発表されました。

大きさや重さはほとんど変わりなく、デザインが今風のになりましたね。

それに、外装も脱着が出るというおしゃれな車になりましたよ。

ビートって、音楽ですか・・・

8ビートじゃなくて、これもホンダの車なんです。

軽自動車で、オープンカーで、2シーターという、

 

まさに男の子のおもちゃ状態の車を、いっぱい造って楽しむという、

本田宗一郎さんの夢に向かう気持ちがすごいです。

 

ビート
http://jidoshafan.com/honda-beat.html

 

1991年に発売ということなので、1990年に発売された

NSXと同じミッドシップエンジンという出で立ちなので、

この遊び心は素晴らしいですね。

 

656ccで64psですから、リッター100の馬力を

持っている車でした。

 

ただ車の重量が、760kgあるということで馬力の割

には、ちょっと重かったかなと思います。

 

サスペンションは、4輪独立懸架という足回りに、軽自動車

では初の4輪ディスクブレーキ、SRSエアバックという

ことと前輪が13インチ、後輪が14インチというタイヤを

装備したものだったのです。

 

それから、全高が1175mmというと、

トヨタ2000GTが1160mmなので、いかに低い

スポーツカー設定かということですよね~。

 

bビートhttp://minkara.carview.co.jp/userid/317428/car/213…

 

オプションのカーオーディオは、車速で音量が変わるという

「スカイサウンドシステム」というものも付けられる

楽しみも与えてくれていたのです。

 

ターボではなく、自然吸気(NA)で

64ps/8100rpmというのは、とても凄いことなので、

ピストンのストロークが短いものだったことがわかります。

 

レッドゾーンが、8500rpmということでも、

やはり高回転型の車を目指していたことがわかりますね。

 

ただ、MTのみでAT(オートマ)の設定はなかったのです。

総生産台数33892台という人気車であり、固定された

ファンが多くいたということです。

 

1991年8月5日、残念ながら創業者の本田宗一郎さんが

亡くなられましたが、このビートを最後が送り出した

車ということです。

 

2010年には、「ツインリンクもてぎ」で開催された

オーナーミーティングで、何と569台のオーナーが参加し

パレードランを行ったということで、ギネスに記録された

ということです。

 

1996年1月、軽自動車規格変更などで生産を終了したのです。

 

2015年4月、「S660」が発売されました。

「2シーターオープンスポーツ」と位置付けるもので、

ビートの再来ではないというメーカーコメントだそうですが、

やはり、凄くて楽しい車といえますね。

 

ビートが売り出されたころは、運輸省(現在の国土交通省)が、

NSX等の高性能化を嫌うようになり、スポーツカーという

言葉を使うことが、出来ないようになっていたのです。

 

ですから、街乗りという感じで、高速の走りを楽しむより、

街の中でということですね。

 

え、バモスって車の名前・・?

バモスって車はご存じですか・・?

バモスって車は、本田技研工業の車です。 ご存じですか?

え、知っています?それは凄いですね。

 

バモスhttp://b-cles.jp/car/meisha/honda_vamos_1st.html

 

そうです、1970年代の初めに販売された、軽トラックのオープンカーです。

軽トラックのオープンカーといえば、そんな車を誰が乗るのかな?

という疑問が湧いてくると思いますが、予想通り、

総生産数2500台しか売れなかったのです。

 

レジャーブームで、これはと思って販売したのでしょうが、

その波に乗れなかったという訳です。

 

が、ユニークですよホントに。怒られますが、ちょっとして

リヤカー車のような感じで乗ってはフルオープンなので、

町を走れば、何の車?ということになります。

 

ただ、目立ちましたね。これだけは言えます。

 

オフロード的な車でおもしろいと評判だったのですが、

登坂力やオフロードを走るということで、4WDであれば、

ということは言われていました。

 

そのせいもあって、目標の月産2000台はほど遠く

1973年に生産を終わったのです。

 

bバモス
http://minkara.carview.co.jp/userid/251769/car/144…

 

この車の正式名称は、「バモスホンダ」という車名が先になる

ネーミングで、北米をイメージさせたものということだった。

 

この車も、水平横置きの空冷エンジンで、このバモスがホンダの

軽自動車最後の四輪車という事になったのです。

 

オープンカーですから、幌があって2座席のみのものがバモス2

というそれに4人乗りのバモス4ということです。

 

価格は、バモス2が32万1000円、バモス4が35万1000円、

フルに覆う幌のものが、36万9000円というそれほど高い車では

なかったのです。

 

まあ、オープンカーですからね。

 

この車の面白いところは、車体の前面にタイヤを載せていて、

そのスペアタイヤが衝突の衝撃を吸収してくれるという売り

でもあったらしいです。

 

乗員用のドアがないために、転落防止バーが付いていて、

シートは前後ともベンチシートだったのです。

 

でも、ジープでもがら空きの車に乗ると、風を切って

走るということは気持ちが良いのですが、ちょっと怖いですよ。

 

その形とデザインのおもしろさで、円谷プロダクション

の特撮によく使われたという事も、ウィキに書いてありました。

 

Goonetで探してみましたが、売っていました!

 

あまり見つからなかったのですが、75万円、63万円

なんと、ふるさとの山形でも売っていました。

 

118万円という値段でした。

 

スポーツカー時代に、こんな面白い車もあったということ

を知っていただきました。

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